女を離れられなくする
ハウルのずるいモテテク

 モテるだめんずは、「私がいなきゃ、この人はダメなの…」と女に思わせることが上手。
ハウルもまた、そんなだめんず特有のモテテクを、物語の冒頭ですでに発揮しています。

 自分に自信のない帽子屋の娘ソフィーが、街で兵士にナンパされて困っていたところを、さりげなく彼氏気取りで切り抜けるという疑似恋愛のシチュエーション。
続いて荒れ地の魔女の使いに襲われたときは、魔法を使った空中散歩というドキドキの初体験まで手ほどきして、ソフィーの“愛されたい”“刺激がほしい”という心にくすぐりをかけています。

 手口自体はなんということはない、いまどき童貞でも知ってる“吊り橋理論”そのもの。
しかし、この手のだめんずは、豚がトリュフを探し当てるように、「この女なら、俺に都合よく惚れてくれる」という、自己評価の低い女性を嗅ぎ分ける天性の才能を持っているのです。
そして、ほとんど無自覚に女性をドキドキさせ、まんまと乙女心をわしづかみにしてしまうというわけです。

 案の定ソフィーは、荒れ地の魔女の追跡や、師匠サリマンの呼び出しから逃げ回っている、わがままで臆病でヘタレなハウルに代わって、外回りのパシリに使われます。
まさに“都合のいい女”。
現代に置き換えれば、適当に呼びつけられてセフレにされたり、借金を肩代わりさせられたり、暴力を振るわれたりしているような状態です。

 それでも、ソフィーがハウルのために尽くすのはなぜでしょうか。
そこが、女心を揺さぶる、だめんずハウルのずるい手口なのです。

 サリマンのいる王室に駆け付けたときは、「ソフィーがいると思うから行けたんだ」とか、キュンとすることを言ってみたり。
ハウルが子供の頃に過ごした大事な隠れ家を「ソフィーなら好きに使っていいよ」と言って、“君は特別だよ”感を演出したり。
「私なんかきれいじゃないし……」と卑屈モード全開なソフィーに、真正面から「ソフィーはきれいだよ!」と言ってのけたり。

 ソフィーが心の底で「こんなこと言われたい」「こんな風に扱われたい」と思っていることを、ハウルはまんまと読み取ってフォローできちゃう男なんですよ。
だからソフィーは、「この人なら、私を“愛されたい理想の自分”にしてくれるかも!」と思い、ハウルから離れられなくなっちゃうわけです。
どんなに都合よく扱われても、「あの人、お酒さえ飲まなければやさしい人だから…」みたいな気持ちにさせられちゃうんですよ。

 最後には、ようやくソフィーのために命がけで戦争に行くハウルですが、それに対してソフィーが言ったのは、「あの人は弱虫がいいの」というまさかのヘタレ肯定発言でした。

「あんなかっこいい人が、私みたいな女を好きになってくれるなんて…」という卑屈な気持ちが、いつしか「私がいないと、あの人はだめなの…」という献身にすり替わり、すっかりだめんずにとって都合のいい共依存スタイルができあがってしまうのです。