世の中の多くのことは確かに「ガチャ」

しかし、では「結婚できる人」は自分の値段を客観的に考えることができた傲慢ではない人で、「結婚できない人」はいつまでも高望みを続ける傲慢な人かというと、話はそう単純でもない。結婚してからも、おそらく人は無意識に自分に値段をつけ、それがときに相当お高くなることは避けられない。「釣り合う」ってなんだろうということに関しては、巻末の解説で朝井リョウ氏もちょっと触れている。

最後に、本作の感想を少々強引にまとめる。実は、私はここ数年で、「ガチャ」というスラングが世の中に浸透したことをけっこう喜ばしく思っているのだ。なんでもかんでもガチャだと考えるのは良くないかもしれないが、しかし世の中の多くのことは確かに「ガチャ」である。子は生まれてくる家を選べないので、親は「ガチャ」。親も、生まれてくる子が育てやすかったらラッキーだが、それは選べないので「ガチャ」。そして、適当な結婚相手に巡り合えるのかも究極的に言うと「ガチャ」。一発目で当てる人もいれば、五百発引いても当たらない人がいる。両者を分けているのはただ「運」である。課金(努力)によって確率を上げることはできるが、確実なことは何もない。婚活市場で架と真実が出会えたのも、2人が当たりを引くまでガチャを止めなかったからだ。

残念ながら、世の中の大半は「運」で決まると私は思っている。私たちが自分の意志で決められることはそれほど多くない。できることはせいぜい、課金を重ねて当たりを引くまで諦めないか、ハズレのままでもまあいっかと大きく構えることである。『傲慢と善良』は、課金を諦めないことと、大きく構えることの、両方を教えてくれる気がする。

Text/チェコ好き(和田真里奈)