結婚できない人は人間的に問題がある?世の中の大半は「運」で決まる

「結婚できる人」と「結婚できない人」に、何か明確な違いはあるのだろうか。数年前くらいだと、この手の話題に関してまだ「前者は常識的なコミュ力を持ち外見への気配りができる人で、後者はそれができない人」みたいな言い方がまかり通っており、みんなもそうだそうだと納得していた。つまり、「結婚できない人」には何かしら人間的に問題がある、という考え方である。一方、最近はそこまであからさまな言い方をされることは少なくなったが、しかしまだまだ「これが結婚できない女です!」みたいなタイトルの記事を、インターネット上で見かけることはある。どれどれと試しに読んでみると「メンタルが不安定」などと書かれていたりして、いや、メンタルが不安定な既婚者めちゃくちゃいっぱいいるが!? と私はその度に突っ込んでいるのだ。

この手の話題に関しては正直、「結婚できた人は運と縁があった人で、結婚できなかった人は運と縁がなかった人」以上のことは言えないのではないか。私はそう思っているんだけど、人生の大事な決定を運だとか縁だとかいうふわふわしたものに委ねたくない人が大半なのかもしれない。辻村深月さんの『傲慢と善良』は、改めてこの「結婚できる/できない問題」について考えさせてくれる、恋愛小説ならぬ婚活小説だ。

婚活における「ピンとくる」の正体

主人公の架(かける)は39歳の男性である。収入もコミュ力もあり、おしゃれで都会的な男性だが、かつての恋人を長く引きずっており、そのせいで39歳まで独身だった。そんな架はアプリを利用した婚活を始め、35歳の真実(まみ)と婚約する。まわりと比べれば遅い結婚にはなるものの、なんとか相手が見つかってよかった──と思っていた矢先、婚約者の真実が失踪する。直前に真実からストーカー被害の相談を受けていたこともあり、架は真実の行方と彼女の過去、そしてストーカーの男を探し始める。これが、『傲慢と善良』のおおよそのあらすじである。なお、タイトルはジェーン・オースティンの恋愛(結婚)小説『高慢と偏見』から来ているみたいだ。

本作を読み進めていて最初に心を抉られるのは、真実が地元の群馬でお世話になっていたという結婚相談所の仲人・小野里に架が話を聞きにいく場面かもしれない。真実は小野里の紹介で2人ほど群馬でお見合いをしたが、どちらとも縁がなく、一人暮らしを始めたかったこともあり東京へ出てきたのだ。

ベテラン仲人の風情を漂わせる小野里は、婚活で出会ったどの人も「ピンとこない」と言う未婚者に対し、では「ピンとくる」とは何なのかを説明する。小野里いわく、「ピンとこない、の正体は、その人が自分につけている値段」だという。その人が無意識に自分自身につけた値段に、釣り合う相手が来れば「ピンとくる」。釣り合わなければ「ピンとこない」。「皆さん、ご自分につけていらっしゃる値段は相当お高いですよ」と小野里は言う。「傲慢」なのである。