誰かを変えることは無理というのは
どんな状況でも当てはまる
この「誰かを変えようとすることは傲慢だ」というのは、どういった状況でも、どのような関係性でも当てはまります。
もしあなたが、イライラしながらも彼のことが大好きで、面倒だと思いつつなんだかんだ連絡も返して、実際に顔を見ればいろんなことが許せちゃって、彼と一緒にいるのが幸せで……という状況で、「彼からの依存に悩んでいる」という相談であっても、回答の細かい内容は違えど「彼を変えるのは無理だよ!」とわたしは同じ言葉をお伝えしていたでしょう。
なまじあなたは彼と離れたい、キャパオーバー、だからもう生きていたくないとまで思っている、しかも生理的に無理ともなれば、彼の人生を半分持ってあげる労力が今後沸いてくるとは到底思えません。
不満があれば都度彼に伝えるという姿勢は、とてもいいと思います。
思ってることは言わなくちゃ伝わらないよ! とわたしはこの連載で言い続けてきました。でも、それは双方の価値観に相違が生じていたとき、お互いの正義がぶつかったときに、話が通じる相手とよりよい関係を築きたいとお互いが共通して思っているからこそ、ひとつのコミュニケーション手段としてやったほうがいいよ、とおすすめしているのです。
今のあなたのように、庇護欲が根底にあり、相手を助けてあげたいと思っての行動、期待が先行してのおせっかいなのだとしたらそれは健全とは言い難いですし、どうしたって一方通行になるため、あまり意味をなさないように思います。
相談文に「依存でしか人と付き合えなかった時代があるわたしだからこそわかります。わかるがゆえに無下にできず~」と書いてあることから、あなたは自分と彼を重ね過ぎているように思えてなりません。
過去のあなたの心情、相手に求めていたこと、「ほんとうはこうしたいのに、どうしてもできない」と感じていたもどかしさなどを、彼を通して思い出す、さらに過去の自分を救ってあげようとしているように見えます。
はっきりお伝えしておきますが、そんなの無理なんです。
人間誰しも後ろめたい過去やつらい経験、後悔を抱えています。それらは、他人との交流によって、呪いが解けたり、溜め込んでいたものが解放されたり、気持ちが浄化されたりと、思いがけないタイミングで過去の自分と共に救われることはあります。
でも、これはほんとうに“思いがけず”なんです。自分を救うこと、楽になることをハナから期待し、それ自体を目的にして他人と接するのは不誠実で、とても失礼な行為です。
自分と他者、分けて考えないと苦しくなるばかりです。
彼は、過去のあなたではありません。今のあなたは、かつてのあなたが一緒にいてしんどい思いをした“釣った魚に餌はやらない正真正銘のクズ野郎”ではありません。
まずは、それをきちんと理解しておかなくてはいけませんよ。
相談文から、「過去の自分は相手に依存する側だった、今の自分は彼に依存される側」と捉えているように感じたのですが、わたしにはあなたも彼に依存しているように見えます。
依存というのは、過剰なヤキモチを妬いたり、相手を束縛して行動を制限したり、自分勝手なワガママばかり言って相手の愛情を試したり、さまざまなかたちがあると思いますが、離れたほうがいいとわかっているし、自分でも離れたいと思っているのに関係を継続させることも含まれます。
彼と一緒にいたくない、彼と一緒にいるときの自分が嫌い、と自分の本心はわかりきっているにもかかわらず、誰かに咎められているわけでも抜け出せない状況に置かれているわけでもないのに、彼と離れることを決断できていませんよね。
その事実を受け止め、「自分も彼に依存しているんだな」と自覚を持つことをおすすめします。