他人に支配されない「自分の価値」を自分で決める

「価値」という言葉は、どれがどのくらい大切なのか、という意味で一般的につかわれるのでしょう。
あくまでもわたしの考えですが、自分自身の価値は自分で決めるべきであって、他人からの評価とは関係のないところに存在すべきなのです。ましてや恋人の有無やSNSに載せられている写真や文章だけで自分の価値を決められるわけがなく、恋人がいることもSNSに載せている写真や文章も、その人自身の全てではなくて一部に過ぎません。

価値とはとても流動的なものですし、受け取る人によってその評価は異なります。
こんなことを言うとよくないのかもしれませんが……たとえ社会的には平等だとしても、見ず知らずの人よりよりも目の前の愛する人の幸/不幸のほうがずっとリアルで、感情が動かされる振り幅も大きい。一方で、その見ず知らずの人のことをとても愛している人は確実に存在していて、彼らにとってはわたしの存在こそがどうでもいいことだったりするのです。また、他人に対してどこに魅力を感じるのか、どこを重要視しているのかは人によって大きく違います。そしてその評価は、目に見えるわかりやすいものだけで決まるわけではないのです。

これらの理由から、不特定多数から「価値のある人間だ」と思われたいという願いは非常に無謀で現実的ではありませんし、誰かから評価されることを基盤にした人生はとても苦しく、いつか自分らしさを失ってしまいます。
だったら、自分で自分の価値を決めてそのための努力をしたほうが、誰かの言葉に支配されることなく生きていけるだけでなく、自分が掲げる「魅力的な自分」を愛することができて精神衛生上でもヘルシーではないでしょうか。

評価基準をたくさん持っていると生きやすくなる

「恋人がいないのは人として未熟で、かわいそうで、何か欠落している部分があるのでは」と思いながら、そんなことは一切ないと頭ではわかっているとあなたは仰っていますが、おそらく本当の意味ではわかっていないように感じました。
あなたの言葉は裏を返すと、あなた自身が恋人がいない他人をそう評価していると同義になります。
この人は恋人がいるから生きている価値がある、この人は恋人がいないけれど才能があるから価値がある、そうじゃないあの人は価値なんてない……といった風に他人を見ているのでしょうか?
他人には当てはまらないのに、自分だけに当てはまる評価方法なんてこの世には存在しませんよ。

さて、ひとつずつ順を追ってあなたの持論をつぶさせていただきますが……、まず、恋人がいない=かわいそうという考え方が世間にはある、というのは完全にあなたの思い込みです。たとえそういった考えの人がいたとしても、それはその人が間違っています。
「恋人はいません」というのは、「血液型はB型です」「出身は北海道です」というのと一緒で、言われた側が「へぇ、そうなんだ」と思うだけの情報に過ぎません。

では、恋人がいないけれど才能や影響力があれば価値のある人間として見做せるかというと、決してそんなことはありませんし、そもそもそんなことで人間の価値は決まりません。
どうやら、あなたは目に見える部分だけで人の価値を決める節があるので、まずはその今持っている考えを改めることをおすすめします。

あなたが恋人がいない自分に否定的な感情を抱く理由にとして、おそらく恋人の有無に自分の価値基準の重きを置いているからだと推察します。
恋人がいること、恋愛をしていることに幸せを感じるタイプだったり、そういった生活に憧れがあること自体は悪いことではないと思います。
それは、バリバリ働いていることに充実感を覚えるだとか、仕事はそこそこにして趣味に時間・お金・労力を費やすことが何よりの幸せを感じるといった人と同じで、どこに軸足を置いているかはさておき、自分の人生において幸福を感じるポイントをそれぞれ持っているのでしょう。各々理想とする姿があり、そのための努力をしている中で、願い通りの生活を送れているのであればそれこそ「自分には価値がある」と思えるのかもしれませんね。

ただ、そうではない瞬間、要するに自分が軸足を置きたいと思っている分野が上手くいっていない時間があるからといって、その人自身に価値がないと決まるわけではありません。
その理想とする自分になれていなかったり、重きを置いている分野の充実度が下がっていたりするととても苦しいとは思いますが、だからといって、理想とする環境にいない自分=価値のない人間と結び付けてしまうのは、あまりにも短絡的で乱暴過ぎるように思います。

ちなみにわたしは自分に対して「こんなにキュートでいい女は他にいないよな~! マジで世界一! わたしなんて価値のある人間に決まってんじゃん?!」と思っています。
それは、SNSのフォロワーがちょっと多くてそのぶん影響力が少しだけあるとか、結婚しているからとか、本を出版したことがあるとか、他の人よりも秀でている部分があるとか、そういった目に見えてわかりやすい部分を他人と比較したうえで「わたしは価値のある人間だ」と評価しているわけではありません。わたしにはわたしの価値があるという認識のもと、そう考えているのです。

たとえば、わたしは結婚していますが、結婚している=価値がある、価値がある人間だから結婚できた、と思ったことはありません。
ただ、結婚前からずっと夫に言葉を尽くしたり、日々自分の感情を言語化したり、そしてよりよい結婚生活を維持するために思いやりを持って夫と接したり、今の幸せが当たり前だと胡坐をかかないようにしたりなど、生活を守るために努力をする自分のことをとても素晴らしいと評価しています。
もちろんそれができなかったことだってあります。でも、たとえできていなかった時期があったとしても普段はできている場面のほうが多いこと、できなかったときに自覚して都度反省できること、夫に素直に謝れること、次からは気をつけようと前向きに思えていることは、それはそれで自分の長所だと捉えていいと思っています。

その反省や謝罪すらできないときもありますが、できていないことを誰かに指摘されたときに素直に聞き入れられたり、そう指摘してくれる人が近くにいるということは他人と信頼関係が築けている証拠だと考えたりなど、ひとつの事象から辿っていき視点を変えれば必ず自分のいい部分が見つかりますから、それを肯定的に受け止めるようにしています。
自分の性格や行動に対して反省こそすれど、だからといって自分自身を否定する必要はないのではないかな、と。
自分に対する価値基準、評価基準はたくさん持っておいたほうがよくて、そしてそれはできる限り細かく分類し、あくまでもあまく設けておいたほうが、きっと生きやすいのではないでしょうか。