「愛される女」になるよりも、勝手に愛していいし、勝手に愛するのをやめていい

「愛される女」メソッドにモヤモヤする

「愛される女」メソッドにモヤモヤする

最近会っていなかった友人が、急に頻繁にSNSを更新するようになった。「愛される女になる!」「愛される妻になる!」という趣旨のセミナーに通いはじめたらしく、その会の活動を投稿するようになったのだった。新しい活動で仲間ができて、楽しくSNSを更新できるようになったとしたら喜ばしいことかもしれないが、連日「愛される女になる」というフレーズやそのハウツーを目にするうちに、なんだかモヤモヤした気持ちがわいてくる。

何を言われても明るく応答すること。いつでもポジティブに考えること。たくさん褒めること。小さなことでもお礼を言うこと。男のプライドを傷つけないように立ち回り、甘えること。……うーん、なんとなく素敵に聞こえるような、うっすら嫌な感じもするような。

まあ、明るく応じたり、褒めたり、お礼を言ったり、そういうのは、人間関係を円滑にするマナーのようなもので、多くの人が普段からやっていることだと思うが、そういうのをさらに過剰に実践し、逆のこと(ネガティブ、不機嫌、褒めない、プライドを傷つける、など)は徹底してやらない、というのがどうやら「愛される女」になるメソッドのポイントのようだ。

たしかに、愛されたい、と思う。明るくポジティブに生きられたらその方がきっと楽しいだろうとも思う。でも、だからこそ、愛されたいと渇望する人に、「もっとがんばろう!」「色々我慢して明るく振るまおう!」みたいなことを教えるのって、ちょっと残酷ではないか? とも思う。

「愛されるためにポジティブな女になりましょう」という抑圧

私が以前付き合っていた人は、怒ることはおろか愚痴を言うことも全くない、「ザ・優しい人」だった一方で、私が怒ったり愚痴を言うことも許さない人だった。彼に不満を言ったりしんどいことを伝えたりしても「そんな言い方しなくてもいいよね」「もう少し前向きに解決策を考えたら?」などと言われてしまい、よくモヤモヤしていた。

そんなときに恋愛のハウツー本みたいなものを手に取ってしまったら、「女はポジティブじゃなければ愛されない」みたいなことが書いてある。それを読んで「そうか、ポジティブになろう!」と思えるほど私は素直ではなく、「あーもう、うるせーな、そこまでして愛される必要ないんだわ」と苛立ち、彼とはすぐに別れたのだった。

でも私ももう少し切羽詰まっていたり、状況が違っていたら、素直に「ポジティブ」を頑張って、今頃「愛されるためにポジティブな女になりましょう」などという恋愛コラムを書いていた可能性もある。「辛い」とか「嫌だ」とか言う前に、にこにこして、前向きに考えて、いろいろと工夫しましょう! そうすれば愛されます! プロポーズされます! セックスレスになりません! みたいな。

そうやって不確かな幻想を植え付けて、辛い人から「辛い」という言葉を取り上げて、何もなかったことにしようとする人たちがいる。辛い時には辛いと言っていいし、不満も愚痴も言っていいし、 そもそも抑圧しようとしてくる人に愛される必要なんかないのではないか。