今もあるかはわからないのですが、わたしが若い頃は、恋人に合鍵を渡すという風習がありました。付き合ってしばらくして親しくなった頃に、恋人から「これ」と渡されると、オンリー&ナンバーワンの立場として認められたようで嬉しい気持ちになった……のも確かです。しかしわたしは、付き合った相手に合鍵を渡すことには抵抗がありました。
合鍵に抵抗がある三つの理由
その理由はいくつかありますが、第一には、不在時にプライベートなスペースに人を入れたくないこと。ぶっちゃけていうと、わたし自身、前回書いたように「家主の目を盗んでエロ本を探る」という悪癖を持っているため、恋人であろうと、どこか信頼しきれない。下着をこっそり探ったり、隠してあるローターを見つけて男友達に報告したりするだろ! わたしならするし! と考えると、俄然、渡す気にはなれないのです。
二つ目は、わたしが努力して手に入れた生活空間を、好きに使ってほしくないというケチな気持ちです。「愛する人が自分のスペースでリラックスしてくれている」という喜びよりも「なんで人様の家に我が物顔でいる?」という気持ちが先だってしまう。独身時代は、新宿から歩いて帰れる距離のマンションに暮らしていたのですが、その利便性と交換にそれなりのコストを支払っていた。金も払わず、当たり前のように“都心の家”という便利さを享受できると思うなよ……という思いがあったのですが、いやー、わたしってばケチだなぁ。
そして三つ目は、「合鍵を渡す」という行為が「愛情の確認」を含んでいるように思えるからです。「合鍵をもらってほしい」という気持ちから、自発的に合鍵を渡すのはいいけれど、「合鍵が欲しい」とか「合鍵を渡したんだから、そっちのも渡してほしい」となると「愛してほしい」「愛してるんだから、愛し返せ」と乞われているようで、なんだか途端に嫌悪感が生まれてしまう。
愛しているなら…
もちろん好きな人に愛されたいと願うのは当然だし、愛されているという証拠が欲しい、愛されていることを確認したいと思うのもわかる。その当たり前の感情をどうしたことか不快に思ってしまうのは、「あなたの愛し方では、まだ足りない」とダメ出しを食らっているような気持ちになるからなのです。「むしろ愛しているなら、合鍵を渡したくないという気持ちを尊重してくれてもいいよね」と返す泥仕合を、この先しないで済むというだけでも、結婚してよかったと思っております。
Text/大泉りか