ヤリ捨てられたり、振り回されたりする恋愛をしてはダメな時代なのか

by Abbat

突然だけど、あなたは誰かに、焼きマロ(送信されたメッセージをAIが閲覧し、攻撃的な文言を含むものを削除した上で、ポジティブなメッセージだけが届くようにするサービス「マシュマロ」において、AIの閲覧をくぐり抜けて届いてしまった毒入りメッセージのこと)を送ろうと思ったことはあるだろうか。私はというと、さすがに本当に送ろうと思ったことはないけど、送りたくなってしまうほどに苦しい心境は、十分に理解できるつもりでいる(すみません、またも二次創作界の話をしています)。

どういうときに「焼きマロを送りたいと思うほどに苦しい心境」が理解できるかというと、やっぱり、地雷カプを目にしてしまったとき。自分の推しカプがA×Bだったとして、相手違いのA×Cのカプを目にしてしまったら──もちろん、目にしてしまっただけなら解釈違いはどうしようもないので別にいいのだけど、A×C推しの人がBをないがしろにしているようなツイートを見てしまったりすると、私の場合はどこにもぶつけようのない激しい怒りと深い悲しみに襲われる。そういうときに、本当に実行しちゃダメだけど、人によっては「焼きマロ送ったろか」という心境になることは、話としては全然わかる。いや、ここ、笑うところではなくてマジなのだ。いい年こいて二次元にそこまで心を揺さぶられて大丈夫なのか!? というツッコミはごもっともだが、ていうか私自身もたまに自分で自分に引いているが、でもしょうがない。だってそうなんだから。

ヤリ捨てられたり振り回されたりする恋愛は、しちゃダメなのか

仕事や家事が手につかなくなるほどの、激しい怒りや深い悲しみ。10〜20代の頃は主に恋愛で味わっていたそのジョットコースターのような感情を、結婚や出産を経て、すでに手放してしまったという30代の女性は少なくないと思う。私自身も、結婚も出産も経てないけど、(三次元の)恋愛でそういう気持ちに襲われることは、今となってはほとんどない。でも、手放してしまっただけならいいけど、いまだに恋愛に囚われ情緒不安定になったり激しく心を揺さぶられたりしている人を、「精神的に自立できていない」とか「大人として失格」とかっていうふうに見たりするのは、まあ、どうなんだろうか。結婚につながる恋愛だけが「正しい」恋愛で、ヤリ捨てられたり振り回されたりする恋愛は、しちゃダメなのだろうか。そういうのって、今の時代はもうカッコ悪いのだろうか。

夏に、バレエダンサーのセルゲイ・ポルーニンが主演を務めた映画『シンプルな情熱』を観た。主人公は、大学で講師をしている40代のシングルマザー。彼女は経済的に自立しているし、大学の講師だけあって知性も教養もある。フェミニズムへの造詣も深い。だけど、ポルーニン演じる年下の既婚者と、前後不覚になるほどの恋に落ちるのだ。息子の世話もおざなりになって、スマホの通知ばかりを気にしている。彼女を見たら、「子供の世話が後回しになるなんてあり得ない」とか、「いい年してスマホばかり気にするような不安定な恋愛をするなんて」とか、いくらでもバッシングは思いつくだろう。でも思い出してほしいのは、明日あなたが、私が、再びそういう恋愛に落ちる可能性は、この後何年経っても、何を経験しても、絶対にゼロにはならないということ。それはほとんど、事故や災害のようなものだから。