何でもないやり取りにSOSのサイン
人は誰しも、自分以外の誰かの幸福を祈る瞬間がある。「私が幸せにしてあげたい」から「そういえば、最近あの人と連絡取っていないけど、元気にしているかな?」まで、その対象や気持ちの大きさは異なるが、特定の人物について考えを巡らす時間がある。
それは、私も例外ではない。範囲はかなり狭いかもしれないが、自分の手の届く知り合いについてはなんとか生きていて欲しいし、なるべく元気でいて欲しいなと思っている。このコロナ禍で気軽に対面で会うことが難しくなってからは、特にそう思うようになった。まあ、みんなそうか。そうですよね。連絡先を知らない相手でも、苦手な人でも、よほどの憎しみを持っていない限り、できることなら元気でいて欲しいと思いますよね。かなりきれいごとだし、無責任なのかもしれないけれど。
最近、ほとんど連絡を取ってこなかった友達からLINEやメールが来る機会が増えた。「今度、赤羽で飲むからおすすめのお店教えて」とか「転職を考えてるんだけど、いい転職サイト知ってる?」とか、内容は多岐に渡る。周りも同じように、私のことを心配してくれて、なんとなく連絡したのかもしれない。考えすぎかもしれないが。それとも、このなんでもない文章のなかに、SOSのサインが隠されているのかもしれない。大きなお世話なのかもしれないが。女友達であれば、比較的明確に助けを求めてくれる気がするのだが、男友達については、なんだかそのサインがわかりづらい。だから、余計に心配になってしまっている自分がいる。
そのなかでも、特に心配している人がいる。恋愛感情を持ったことはないが、趣味も似ていて付き合いも長い。いつもだらだらとくだらない話をし、気づいたら終電の時間になっている。話したいことは特にないのに、不思議と話題は尽きない。頻繁に会う仲ではないし用事があるとき以外に連絡をしたりしないが、元気でいてくれればいいなと思う。関係が切れたら切れたで、それは構わない。いつまで友達でいられるかなんてお互いにわからない。でも、努力もそこそこに生きていてくれればいいなと思う。とにかく、死なないでいてくれればそれでいい。私が生きている間だけでもいいので。
以前の私であれば、男友達は恋愛を通じてでしか手を差し伸べることができないんじゃないかと思っていた。だから、私はSOSのサインを読み取ることができないと。
心配な気持ちと恋心はなんとなく似ている。私がきちんと理解できていなかっただけで、同一のものとして考えるのが世の中の普通なのではないかと考えていた。そして、結局一番仲のいい異性の友達という存在は、恋人には敵わない。女友達だって、旦那さんや子どもという存在には勝てっこない。いや、それが普通だし、それでいいんだけど、その事実がたまに悲しくなる。恋愛感情を一切持たない自分が、他者に対して助け船を出すのは、なんとなく違う気がしていた。
しかし、今はそうではないのではないかと思えている自分がいる。自分なりの方法で、周りにいる人を助けてあげられるような気がしている。
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