「チワワが飼いたい」という恋人を止めるため…

野外放尿の話はさておいてわたしは、人の説教なんて、基本的にはまったく聞かなくてもいいと思うのです。例えば、されると不快だったり傷ついたりすることに関しては「これが嫌だから、してほしくない」「こういうことをされると、傷つくので、やめてほしい」という提案をすればいいだけであって、そこをわざわざ、いかに社会的に正しくないかを教え諭して改心させよう、執拗に諭して相手を根負けさせて、自分の意を通そうとするのは、支配と服従のコミュニケーションだと思うからです。

とはいうものの、ではわたし自身も、説教によって相手の意を変えさせたことがないというわけではありません。以前、朝6時から夜10時まで仕事で家を空けている、借金持ちでひとり暮らしの恋人が、突如「チワワが飼いたい」と言い出し、あげく大手チェーンのペットショップのサイトに掲載されていた、生まれて三か月にも満たない、やや斜視ぎみの子犬を迎えると言い出した際には、周囲の犬飼い達と結託して「やめておけ、無理だから!」と説得にはしりました。

「みんなはよくて、なんで俺だけダメなんだよ!」とごねる恋人に「お母さんだったら『よそはよそ、うちはうち』って魔法の言葉が使えるのに……!」と歯ぎしりしながら、そもそも激務で世話をする余裕がないだろうとか、犬を飼うにはお金がそこそこかかるけれども大丈夫なのかとか、まだ乳離れして間もない幼犬をなぜわざわざ選んだのかとか、サイトにアップされている画像を見る限り、ちょっと体が弱そうに見えるところとか、もちろん世の中には、あえてそういう何かしらのハンデを持った犬を選ぶ人もいるけれど、だったらペットショップで買うのではなく、条件を整えて、保護犬をお迎えすればいいのでは?と、考えうるすべての反対要素を並びあげました。
段々と無言になっていく彼の姿に、そこまでの現実を突き付けて説教をする必要はなかったかもしれないとも思ったけど、そうでもしないと納得する気配はなかったし、実際、その場では説得は失敗しました。

後日「やっぱり考え直した。飼わない」と不貞腐れたような連絡が来て、胸を撫でおろしたのですが、「人の希望を潰した」ということで、なんとなく後味が悪かったことを今でも覚えています。なので「説教をする」ということは、わたしにとってなんとなく苦味を伴うことなので、嬉々として説教する人の気持ち……特に何かをしでかした芸能人に説教したい人の気持ちはさらさら理解できないのですが、まぁ何が言いたいかっていうと、説教は暴力の一種ではないか、ということです。

Text/大泉りか