「無邪気が勝ち」という価値観

光の国を夢見て泥臭く成り上がったセレブは、成り上がった先でどんなに涼しい顔を見せたところで、彼女の望むものを生まれながらに持っている光の国の女子には敵わない。相対的には他者の持ち物を「羨んだ側」だからである。

血のにじむ様なダイエットを続ける女優が、表向きには「美容法は、好きなものを好きなだけ食べること」って言うのや、何百万とお金をかけて美容整形した美人がそれをカミングアウトしないのも、努力して手に入れた美しさより、努力しなくても手に入った美しさの方が、同性にとってより羨ましいものだからである。つまり、女性という群れのトップに君臨するボスは、自分自身は誰を羨むこともせず、且つそんな姿勢でその他大勢を嫉妬させる存在、誰よりも「無邪気」でいられる存在でなければならないのだ。

邪気がなければないほどよい、「無邪気が勝ち」という価値観は、考えてみれば世の中の至るところにはびこっている。一時期、女性たちがこぞって天然ボケキャラに憧れたのだって、天然ちゃんが「無邪気」そのものにほかならないからだ。見事天然という称号を得た女性が、そうでない女性にとってこの上なく鼻につくのだって、「無邪気」を独占されることによりマウンティングで劣勢に立たされるからである。
ただ、さすがに安易なアプローチであり、これが一般化した先には誰も生き延びられない不毛地帯が広がっているという事実に女性たちが薄々気づいた結果、天然キャラブームは下火となったように思われる。とはいえ、「男はどうせ若い女が好きよね」も「アイドルはウンコしない」なんかも無邪気至上主義によるもので、私たちは男性も女性も、とにかく無邪気な人が大好きなのだ。