「光の国」には自分の長い影がある
こういった環境で育った女子は、高度な教育を受けているため基本的な能力が高く、いい大学に進学し、いい仕事に就く。ネットワークを活かして御曹司と結婚する。なんだかもう、目をやられそうなくらい眩しく輝いている。というわけで、私はこういった東京のキラキラ社交界を「光の国」と呼んでいるのである。
……で、当然、光あるとこに影あり。間違って一歩でも光の国に足を踏み入れてしまえば、嫌が応にも直視せざるを得ないのが、自分の足元からなが〜く伸びる、真っ黒な影である。与えられた環境全てを当然の権利として享受できる彼女たちの屈託のなさにもやるせない思いだが、金持ち喧嘩せずとはよく言ったもので、光の国の女性たちはだいたい性格もいいのでケチをつけようものなら単に醜い八つ当たりになってしまう。
同世代、同性というだけの理由で、こんなにも隙のない、光り輝く女性たちと同じ場所に陳列されねばならないと思うとただただ絶望。「東京で生まれ育った子にはかなわない」そんないつかの友人の言葉が、今度こそ正しい重みを伴って、耳の中にこだまするのである。
……しかし。ここで心を折って「闇の国」、別名「こじらせの国」に逃げ込んでしまってはダメなのだ。何しろ「こじらせの国」は優しい。人をだめにするソファと同じくらいぎゅっと体を包み込んでくれる。だからこそ、一度はまれば抜け出すのは至難の技なのである。仮にスポーツ選手に例えるならば、光の国の彼女たちはいわばオリンピック選手。そしてオリンピック選手と同等のパフォーマンスが発揮できないからといって、自分を運動音痴だと定義するのは安易だ。草野球のエースなら草野球のエースとしての自分に、市民マラソン入賞者なら市民マラソン入賞者としての自分に、誇りを持って生きればいいのだ。