余白に訴える

怒ることはタブー視されやすい。
一方で、「どう怒りを表せば伝わりますか? 怒ることが得意じゃなくて、つい我慢してしまいます」といった相談を持ちかけられる機会は多い。

その気持ちは分かるけど、怒りを持ち寄った後には、許すか許さないかしか残らない。
幸い許し許されることが叶えば、これまで以上に強い絆が築けるし、大切にされるようにもなる。だから、100パーセントを目指さなくてもいい。静かな表現でも、伝えるアクションを起こした自分自身を、まずは認めてあげよう。
あなたの声を、どう受け止めて吸収するかは、相手に任せることしか出来ないから。

人は唯一、共感し影響を受ける生き物だと、聞いたことがある。そういえばそうだ。
そうじゃなきゃ、言葉も音楽も芸術も創造も生まれない。

考えたことが無かった、配慮したことも想像したことも無かった……そんな見知らぬ余白は私の心にもまだまだ無限に存在する。
だから、伝えたい想いが届いた時に、初めて息吹く想像の種があることを、恐れずに信じてみても良いんじゃないかと思う。

私の余白に訴えてくれた、“自分の中に生きる他人”に感謝したい。
それは今、こうして何かを伝えることへの希望に繋がっているから。

Text/椿

初出:2019.02.25