自分の〈被害〉と同時に〈加害〉についても語られる韓国文学『わたしに無害なひと』

『わたしに無害なひと』 Jurica Koletić

自分の苦しかったことや辛かったことを告白するのには、とても勇気がいる。一方で、自分が誰かを苦しめたことや辛い思いをさせたことについて告白するのにも、同じくらいーーというか、前者とはまた別の種類の勇気がいる。自分の〈被害〉について告白することは、その経験を嘲笑されたり矮小化されたり、セカンドレイプみたいな目に遭うリスクを負う。そして、自分の〈加害〉について告白することは、世間から責められたり後ろ指をさされたりするリスクを負う。何より、自分の無知や愚かさを自分で認めるって、そのこと自体が精神的にけっこうキツイ。

以前この連載でも扱った『82年生まれ、キム・ジヨン』は、どちらかというと自分の〈被害〉について語る小説だった。そして、今回読むチェ・ウニョンの『わたしに無害なひと』は、自分の〈被害〉について語ると同時に、〈加害〉についても語られる小説だ。この本では、若いレズビアンのカップルが登場する『あの夏』から、片思いの女性を追ってアイルランドまで行ってしまったブラジル人男性とそこで出会う韓国人女性との交流を描く『アーチディにて』まで、7つの短編小説がまとめられている。2020年も、韓国文学から引き続き目が離せない。

『わたしに無害なひと』……タイトルを見てドキっとする

ところで、私はこの『わたしに無害なひと』というタイトルを目にしたとき、ものすごくドキッとしてしまった。「無害」という言葉それ自体には、何の揶揄も攻撃性も含まれていない。しかし「わたしに無害なひと」となると、なんとなーく、こちら側に侵食して来ない人……もっというと、「その存在を無視していい人」みたいな、まるで相手を見下しているかのような不穏なニュアンスが漂ってこないだろうか。『わたしに無害なひと』には、そんな自分の無自覚な加害性に、タイトルの時点で気付かされてしまう。

本に登場するいちばん最初の短編『あの夏』は、冒頭で説明したように、とあるレズビアンのカップルの物語だ。16歳で出会った、イギョンとスイ。2人は戸惑いながらも、キスをして、高校を卒業したらこの村を出ようと語り合う。やがて2人は18歳になり、イギョンはソウル市内の大学の経済学科へ、スイはソウルの外れにある専門学校へ、それぞれ進学する。レズビアンバーなどを積極的に訪れてみたがるイギョンと、そういった場所には消極的なスイ。この頃から、2人の間には徐々に距離ができはじめる。レズビアンバーを通じてできたイギョンの新しい友人に「スイさんは何年度の入学ですか?」とたずねられると、スイは「大学には行けませんでした。頭も悪いし、お金もなくて」と、わざわざ卑屈な答え方をしてイギョンを怒らせる

イギョンとスイは、まず女性であることによって、さらにレズビアンであることによって、差別され理不尽な思いをしている。この点では、イギョンもスイも同じだ。だけどイギョンとスイの間には、経済的な格差や生まれ育った境遇の違いがある。イギョンは理不尽な思いをする被害者であると同時に、経済的な格差に無自覚であったことによって、大切な恋人のスイを傷つける加害者にもなる。1人の人間の中に被害者性と加害者性が同時に存在することは、よく考えてみればそう珍しいことではない。だけど私たちはつい、どちらかだけを見つめてしまいがちだ。