イケメンだったら人生は上手くいく?

魅力的な外見を持っていることに比べたら、英語の勉強を頑張ることも、本をたくさん読むことも、仕事で結果を出すことも、小さなことでしかないのだろうか。今よりももっと上手く物事を運ばせるには、私が読んだブログの女の子のように、美容整形がもっとも手っ取り早いソリューションなのか。

これを考えるときに思い出したいのは、世間で高学歴だとされる大学に通っていて、さらに「ミスター◯◯」の称号を持ってさえいる、イケメンの男子たちである。
ハキム氏の著書によると、美女は得をする機会が多いが、それ以上にイケメンは得をする機会が多いらしい。

でも、その高学歴のイケメンでも、イライラが止まらなかったり、留年したり、女性に暴力を振るって逮捕されたりすることがある。イライラや留年はともかく、他人に暴力を振るうような人の心が満たされていて幸福だとは、私には思えない。
美女よりもさらに世界に優しくしてもらえているはずのイケメンでさえこういう人がいるのだから、やっぱり容姿の美しさは、必ず幸福をもたらすわけではないのだろう。

魅力的な外見をしていることはおそらく、様々な世界への門戸を開く。就職先の幅を広げ、付き合える恋人の幅を広げ、友人の幅を広げ、出入りできる場所の幅を広げる。だけど、そこで継続的に関係を築きあげられるかどうかは、やっぱり容姿以外の何かが――実力だったり、人の良さだったり、話のネタの豊富さだったりが必要になってくるはずだ。

今自分を苦しめているのは、「解放されている門戸が少ない」ことが原因なのか。それとも、一度入った門の中で、上手くやれていないことが原因なのか。

私は整形否定派ではないし、それで世界が開けるのなら、やってみるのも手だと思うんだけど……容姿の問題で過剰に悩みがちな女性は、自分を今苦しめているものの正体を、少し考えてみるのもいいかもしれない。

私も、たまに立ち止まって考えている。

次回は<「私たちは知ってるけど男性は知らない女の子」に光を当てたヌードモデル>です。
Twitterにアップされた裸の写真から、あるヌードモデルの存在を知った。彼女の写真集に映し出されるのは、しっかりと意思のある女性の姿。男性に笑顔を向け、よろこばせるための存在ではない裸の姿。そこから感じられたものとは?