友達ってそういうものだし、それがいい。

結局、失踪の理由はわからなかった。2度ほど尋ねたが濁され、そのまま聞き続けるのもなんだか面倒に感じ、それほど関心を持っていない自分にも気が付く。どうでもよくなって、雑に好きなバンドの話を振った気がする。お互いの死生観の話もした。足腰が元気なうちに死にたいとか、充実した日に寝て起きたら死んでいるのが理想の死に方とか。でも、猫は絶対に飼いたいから自分が死んでしまったとき、猫の生活だけが不安だと、まだ飼ってもいない猫の心配もしていた。

人のことを言えないかもいしれないが、特に否定することもされることもなく、すんなり死について議論されたときに「ああ、こいつも危ういなぁ」と薄ぼんやりと考えていた。だから、別れ際に「死ぬなよー!」と私は言ってしまう。まあ、なんだっていいんですよ。生きていれば、それで。せめて、私よりは長生きしてほしいな、と思っている。

なんで連絡してきたんだろう。私でなければいけない理由なんて何も見当たらないから、たぶん気まぐれなのだろう。お互いに強い興味・関心を寄せているわけではないことは、目に見えてわかっているからだ。でも、2年とか3年ぶりに実際会ってみて、いつだか思い出せない最後に顔を見た日から何も変わっていなかった。連絡なんてまったく取っていなかったのに、距離感が離れることも、関係性がギクシャクすることもない。

当初は、「どういう気持ちで会えばいいんだろう」「何も話すことがなくなったらどうしようか」と思っていたのだが、それも杞憂に終わった。数時間後には忘れてしまうような、くだらなくて、どうでもいい話しかしなかった。それがよかったのかもしれないし、それだけでいいんだろうな、友達って。だから、私たちは友達でいられたし、これからも友達でいられるんだろうなと思ったりしたのだった。

Text/あたそ

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