私が私を乱暴に馬鹿にしていた。「私ブスだから」と言っていた頃

「女らしさ」「男らしさ」に胃がキリキリする

週末に弾丸旅行をした女性の画像 byAndrei Lazarev on Unsplash

最近、「女子力」という言葉を聞くと、ついに頭まで痛くなるようになってきた。「女らしさ」「男らしさ」という言葉も同じだ。自分でも嘘みたいだと思うけれど、胃の辺りが重くなるような、視界が徐々に歪んでいくような、平行感覚を少しずつ失っていくような、そんな気がする。たとえ、誉め言葉として使われていたとしても、言われる度に、悲しさにも似たなんとも言えない気分になり、その後ひどく落ち込んでしまう。

幸い私は気の強い性格だからか、口すっぱく言い続けているからなのか、親しい友達や私の考え方をよく知っている人にその類の発言をされることはない。まあ、言われた瞬間注意をするし、あまりにも男女差別の激しい人とは、すぐに縁を切ってしまうというのもあるんだけれど……。 女友達から見下されているから? 男友達から女として全く見られていないから? と一瞬頭をよぎることもあったけれど、それでもいい。性別を隔てる古臭い発言を決してせず、私という気難しい存在に理解を示そうとしてくれようとする友達に囲まれているのは、幸せなことなんだと思っている。

しかし、友達同士の輪から一歩外に出て職場に出向くと、「女性らしさ」「男性らしさ」というボーダーラインがすぐそばに存在し、業務にも単純なコミュニケーションにも無関係のところで、男女の性差を基準とした言葉が飛び交う。たとえば、お弁当を毎日作っている人に向かって「女子力高いね」とか、甘いものが好きだという男性に対して「女の子みたいですね!」と言ってみたりとか。不意にその場に出くわすと、自分のなかに、不快感によく似た冷たいものがすっと通り過ぎていく。

私の職場は残業もほとんどないし、有給もかなり取りやすい。育休も取れるし(私は出産経験がないので実際のところはわからないけれど)職場復帰もしやすいはずだ。「子どもの体調が優れないので、本日は早退します」と言っても、特に誰も咎めたりはしない。本人の具合が悪いわけではないのに「お大事に」なんて言っちゃったりして、ただ淡々と各々の業務をこなす。
それくらい働きやすい職場であり、どちらかといえば性別に関係なく働く機会が平等に与えられているはずなのに、ここで働く社員にはまだ昔の考えが残っている。つい最近新しい元号が発表され、平成ももうすぐ終わろうというのにも関わらず。
時代遅れだな、と思う。けど、これが普通の社会であり、一般的な考え方なのかもしれない、とも思う。