きれいだとかかわいいとか、ブスだとかそうじゃないとかで、私の仕事の評価をしないで

職場の人から「女扱い」されたくない

働く女性の画像 Christin Hume

やっぱり、「女扱い」が辛い。

今思えば、私は自由に育ってきたと思う。幼少期は戦隊ヒーローや仮面ライダーが好きだったし、恐竜図鑑を毎日のように読み、見たことのない恐竜に思いを馳せながらひとつ残らず名前を憶えていた。星座図鑑や犬の図鑑もよく読んでいた。
セーラームーンも同じくらい大好きだったし、おままごとだって人並みにはやっていた記憶はある。でも、家の中でシルバニアファミリーやリカちゃん人形で遊ぶよりも、外で鬼ごっこをする方が好きだった。

今こうして思い返してみると、社会と関わる前の私は、性別に囚われていなかった。祖母やおばさんに「女らしくしなさい」と言われたことは幾度となくあったけれど、母親から言われた記憶はひとつもない。好きなもの、興味をもったものを自分勝手に手にすることができていたように思う。
それなのに、小学2、3年生になった私は、自分が女でいることがとにかく嫌になった。あえてこういう書き方をするが、女くさい服装も、女しかしないようなしょうもない趣味も、何もかもが嫌だった。

私の通っていた小学校だけなのかもしれないが、男の子と遊んだり楽しそうに話をしているだけで「男好き」と言われたり、「〇〇ちゃんって▲▲くんのことが好きなんだって」と噂を流されたりする。とにかく、男の子と遊んだり、話をすることが億劫だった。そういう雰囲気が常に周りにあって、小学生の私はそれに耐えられそうになかった。陰湿な関係性が嫌で、避けていた部分もあるのかもしれない。そうして、自分のなかの女くささを徹底的に排除するための思想や言動は、高校生くらいまで続いた。

だから、なのかもしれない。特に職場の人から「女扱い」されるのが辛い。特別に女として扱われることに嫌気がさしてしまう。例えば、職場の飲み会で「今日もお綺麗ですね」と言われたり、私だけ下の名前にちゃん付けで呼ばれたり、書類を整理しているときに「やっぱり女性は細かいところが気になるんですね」と言われたこともあった。
かなり些細なことなので、いちいち注意もしないし毎度のように適当にあしらってはいるけれど、この細かくてわずかな女扱いが積み重なって、どんどん自分の心が窮屈になっている気がする。もちろん、言った当人は私を褒めるため、そして親しみを込めて発言していることも知っている。だからこそ辛い。