卑下するのをやめた。蔑んでも意味がないから

「女子力」という言葉や性別を隔てる言葉と同じくらい、「私、ブスだからさあ」「私以外かわいいから」というような自虐めいた発言が、私は嫌いになった。とても残念な気持ちになるし、自分に対しての言葉ではないとわかっているはずなのに、どこか深く傷ついている自分がいる。

そもそも、私は自分の容姿が好きではない。自己防衛のように、人から自分の姿を蔑まれることを恐れて、自分の見た目をネタにして、人に笑ってもらっていたこともあった。それが私にとってコンプレックスを解消できる唯一の方法だと信じていたし、醜い私が人の輪に入っていける手段だと思っていたからだ。

でも、私は卑下することをやめた。自分で自分のことを蔑んでも、意味がないということにやっと気が付いたから。自分の位置を自ら下げると、周囲の人も「こいつは、馬鹿にしてもいい存在なんだな」と無自覚に思うようになる。実際に、無意識で馬鹿にしているんだろうな、と思うことが何度かあった。
私はずっと自分の容姿が人よりも劣っているから馬鹿にされるのだと思っていたし、仕方のないことだと自分を納得させて、諦めていた。でも、本当は違う。私が、自分で自分のことを馬鹿にして、乱暴に扱っていたからだ。

頭がよくない私は、この年になってようやく気がつき、やめた。それからは、私のことを馬鹿にする人、見下す人が本当に周囲から消えていなくなった。

「私、ブスだからさあ」「私以外かわいいから」という自分を蔑んだ表現を聞くたびに、私は昔の自分を思い出す。そして勝手に傷ついてしまうのは、昔の自分を見ているような気分になるから。
昔の私も、自分で自分のことを笑う度、私自身のことを傷つけただけではなく、周囲のありとあらゆる人を傷つけていたのかもしれない。自分の持った傷と同じくらい、誰かを深く突き刺していたのかもしれない。

言葉は、その人を作るのだと思う。価値観とか個性とか、どんな風に見られたいのだとか。
性別に左右されず、自分自身を馬鹿にしたりせずに、きちんと自分の内側を見てもらえる人と関係を築いていけたらいいと思う。私は、それに気づくのが遅かった。後悔していることのうちのひとつだ。

Text/あたそ