きっと、どうでもいい。他人の視線なんて。

 私の手の甲の真ん中には、傷がある。これは昔パン屋でバイトをしたときに、ガラスでできたショーケースの端にぶつけてしまったことが原因だった。もう5年以上も経過しているのに、私の傷は治らない。それどころか、ほんの少しだけ盛り上がり、なんだか目立つ。醜い私の手が、ますます歪な形に思えてくる。嫌いだ。手の甲に目線を落とすたび、ほんの少しだけ悲しい気持ちになるときすらある。

 ドイツ人と一緒に食事をしているときに、「その傷、どうしたの?」と尋ねられ、拙すぎる英語で経緯を説明すると、彼は「いいね」という。
いいね? この傷が? と思い、なぜそう思うか尋ねると、「傷は、その人の背景がわかる。完璧な人間なんて一人もいなくて、その人の傷はよりユニークな一面を生み出していると思う」という。かなり意訳しているけれど。

 そんなこと言われたらキュン……とはならなかったのだけれど、こういう考え方のない日本に辟易してしまって、私は海外に行くのかなあ、と思ったりした。

 日本にいれば、完璧な人や完璧を目指さない人はどこかに外されていく。特に女性は、毎日髪をつやつやに整え、ばっちり化粧をし、足も脇の下もつるつるな上にストッキングを履き、フォーマルで誰からも嫌われないような無難な服装とヒールの靴を身に纏い、働いている。
少しでも世間一般が作り上げた完璧を崩すことは許されない。女性の姿だけではなくて、コンビニの接客や電車内でのマナー、人と会話をしているとき、至るところに「完璧」が潜んでいて、私には息苦しく感じられることがある。
でも、海外、特に暖かい国に行くと、自分のなかにいつの間にかできてしまった「完璧」がどんどん崩れていく。女性が化粧をしていないなんて当たり前だし、髪も服装もそこまできちんとしていなくてもいいみたい。足だって傷だらけだし、下着が見えていようがお構いなし。太っていたとしても、堂々とミニスカートやショートパンツを履いている。

 きっと、どうでもいいんだ。他人の目とか、世間一般の考えとか。そういう、緩やかな雰囲気の街のなかを歩くのが、好きだ。
息苦しさから離れ、自分ことを知っている人が一人もいない馴染みのない土地で、好き勝手自由に歩くのが、私は好きだ。

 完璧じゃなくてもよくて、絶対に完璧にはなれない私をほんの少しの間だけ、街全体が受け入れてくれるような気がしている。

Text/あたそ

次回は<私のこと、どう思ってる?他者の評価が気にならなくなった転機>です。
「自分は周囲からどのように思われているか」。誰もが一度は気にしたり、悩んだことのあるテーマ。「コンプレックスまみれだった」と語るあたそさんが、他者からの評価を気にしなくなった理由とは?

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