恋愛なんてただの思いこみ。それでも、孤独を救うにはちょうどいいのだろうか

恋愛なんて、ただの思い込みだ

恋愛と孤独について考える女性の画像 freestocks.org

先日、ゴジラの映画館まで『シェイプ・オブ・ウォーター』を観に行った。もちろん一人で、仕事もいつもより早めに切り上げて、少し駆け足で向かい、席に着く。それから、酸味が強くてあまりおいしくないカフェラテを飲んで、ドキドキしながら見ていた。
エンディングを迎える頃には泣いていて、私はひどく傷ついていた。こんなにも孤独に寄り添いながら、人間の孤独も一種の錯覚であり、誰かがそばにいてくれるだけではどうしようもないことを映像と音と演技で、表現しているように思えたから。

簡単に説明すると、主人公の発話障害をもった女性が、人とはいえない半魚人のような存在に恋をする話だった。他の登場人物もアフリカ系の女性、ゲイの画家、そして博士を装うスパイのロシア人らが他者との関わり合いを持ちながら、でも決して誰かに寄り添うことも不用意に近づくこともせず、救いようのないような大きな孤独を各々持っているのだと思って、それがすごく切なくて、どうしようもなかった。

結局、自分の内側に出来てしまった孤独感は、人と関わるくらいのことでは取り去ることはできないし、錯覚でも勘違いでもいいから、自分で解決策を見つけて信じるしかないのかもしれない。主人公の女性は話すことのできない彼女自身と、自分と似た存在がどこにもいない孤独な半魚人とを重ねて、彼を救えるのは私しかいないと思い込んでしまう。「話せなくて可哀想」という先入観ではなく、ありのままの自分を受け止めてくれるのは、彼しかいないとも。

この映画は「恋愛映画」というジャンルに区分されているけれど、女性が一方的に勘違いをし、その勘違いが恋愛感情に昇華されていっただけで、半魚人の彼はほとんど自ら行動を起こすようなことをしていない。ただ、自分を助けてくれた人間に心を許し、そして相手が望むままにしただけだ。
一見、2人は結ばれてハッピーエンドを迎えたように思えるかもしれないが、私にはそうは見えなかった。ただ、彼女の一方通行な想いによって、勝手に救われた気持ちになっていたように見えて、辛かった。

「恋愛感情や人を好きになる気持ちは錯覚だ」という言葉があるけれど、この映画を観ると、本当にそうなんだと思う。恋愛なんて、ただの思い込みだ。恋に落ちてしまったという錯覚を、美しい音楽と映像でますます盛り上げてしまった。だから、あの映画は「恋愛映画」なんかじゃない。