
明日は『文学フリマ東京41』です。大阪も含めて6回目の出展で、すでに恒例のイベントとなりつつありますが、今回は久しぶりに新刊を2冊制作。『1993年-1995年のコギャルライフ』は、コギャルとは何だったのかを解き明かした解説書。もう一冊は、歓楽街のヒエラルキーを紐解いた『歌舞伎町の奴隷』です。改めて並べると猥雑というか下衆というか、なぜわたしはいかがわしさを持ったものに惹かれ続けているのだろうか。わたしという人間そのものが通俗だからでしょうか。
カップル同士だったふたりが…
ということはさておいて、先日は10数年ぶりに開かれた同窓会に参加してきました。20代の頃は「同窓会なんて参加しても……」というスタンスだったのですが、30代で行われた際、なんとなくの好奇心というか退屈しのぎに参加しました。かつてティーンの頃にカップル同士だったふたりが、二次会のスナックの隅っこでこそこそとツーショットをキメていたのでこっそり注目していたところ、女のほうがさめざめと泣きだしたというエモい光景を目撃し、今回もまた、そういう胸躍らせるハプニングが起きるのではないかという俗な期待して参加することとしたのです。
という話を、中学時代の幼馴染で今だ親交を持っている女友達に事前に伝えていたところ、当日の同窓会中に「大泉は、前回の同窓会で○○と××がこっそりツーショットになって、泣いてる姿を今回も見れるかもって期待して参加を決めたらしいよ」などと笑い話としてバラしてしまい、同じテーブルにいた人たちに「相変わらず……」と苦笑され「たちが悪くてごめんなさい」となったんだけど、いま思い直せばバラした女友達の方が断然にたちが悪くないか。
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