私を正す文章は私にしか書けない

昨日も、人に「文章、書くの好きなんだよね?」と聞かれて返答に迷ってしまった。その人はミュージシャンだったので、「ライブは楽しいけど、レコーディングしんどくない?それと同じ感じ」というと、「あ~、なるほど」と納得してくれたけれど、文章を書くのが好きか?と聞かれると、素直に首を縦に触れない。文章を書くって結構大変だ。面倒臭いし、お金にもならない。ごくたまに、どうしても書くのは嫌になるし、もうやめてしまいたいと何度も思ってきた。

それでも、自分の考えを文章に落とし込むことは、自分自身の身に降りかかったどうすることもできない出来事を過去にし、頭のなかを整理させながら何かしらの結論を出す営みである。自分の書いた文章を読んでいると、ほんの少しの間だけ間違いではなかったのだと思える。この感覚は、頭のなかで何か物事を考えたり誰かに話をするだけでは得られないもので、きっと何かを書いたことのある人/創作活動をしてきた人にしか通じない気がする。

だからこそ、やっぱり「そこまで書く」がわからない。過去を振り返ったとき、自分と向き合う以外に方法はなく、やっぱり細部まで書かなければならず、それが悪いことだなんてまったく思わない。結局は人の目や世間体が気になるからそう思うだけであって、どんなことを書こうが他者からの評価ってそう簡単には変わらない。

たしかに私の書いているような文章は誰にだって書けるのだと思う。でも私自身を救えるのはたったひとり私だけで、よりよい人生にしていくことができるのも私だけで、そのために書き続けてきたし、悩んだり迷ってきたりしたあれこれを正解へと導けるようにしてきた。私を正す文章は私にしか書けない。そう思う。文章を書くのは好きじゃない時間のほうが長いけれど、それでも書く力みたいなものを、信じていたい。