他者を評価基準にしない
そもそも自己肯定感の定義や「どうして低いと感じるのか?」と尋ねてみても、周囲の人間と比較しているだけなんです。比較して、能力や価値が劣っていると感じて「自分は自己肯定感が低い」と考えている。それって変じゃない?自分には自信を持てないくせに、他者を比較対象にして優れている/劣っているを判断する。すごく失礼で傲慢なことだと気づけずに、「自己肯定感が低い」って言いきってしまうってどういうことなんだろう?と、いつも思います。
そう考えると、やっぱり他者という存在を評価基準に置くから自分を認める感情が下がっていくのかもしれません。人からどう思われているか?周りと比較すると自分はどのような立ち位置なのか?を考え出すとキリがなく、その評価基準も曖昧であればあるほど自己評価は下がっていきます。すべての能力があらゆる他者よりも優れている人なんて社会にはひとりとして存在はしないので。
やっぱり、自己肯定感を上げていくために必要な第一歩って周囲と比較する癖をできるだけなくすことなんじゃないかと思います。あとはコンプレックスをなくすのではなく、できる範囲でマシにしていく。金と時間を使って、気になるところをつぶしていく。人は自分の欠点ばかりに目がいきがちなので。夢中になれることを見つけて、自分のリソースをそこに次ぎ込み、不要な物事を考える時間を物理的に減らしていく。結局、悩んでも無駄なことに悩むときって大抵は暇なときなんですよね。
自分というどうしようもない存在を許していきたい
私の自己肯定感が高いか低いかはわかりません。そもそも考えたことのないトピックであるように思います。自分に自信が持てないところや好きになれない部分はたくさんあるけれど、無駄に体力があるところ、好きなものごとであればいくらでも没頭できるところ、決断力の早さ、潔い行動力は結構気に入っています。
仕事だってものを書くことだって自分より能力の高い人はいくらでもいるけれど、その自分よりも能力の高い人にも時間や体力の上限があって、決まった配置で与えられたタスクをやっていくしかないし、今の自分のポジションには私しかいないわけで……気持ちはわからなくはないけれど、結局人と比べたところでネガティブな気持ちになる一方で意味がないんですよね。
自己肯定感が低いことだって決して悪いことではないと考えています。だってそうでしょう。周りの人間をよく思える、羨ましく感じる環境に身を置けるのは素敵なことで、自分の欠点が明確になっているのであれば、対策方法だって見つけられるはず。
自分に対するネガティブな感情が誰かとつながる理由になったり、自分の経験に基づくアドバイスができる機会も訪れる可能性もあります。少なくとも、あらゆる事柄に対して自信満々で、周りよりも優れていると思っている人間よりは、人間味が感じられ、より美しく魅力的なのではないかと私は思います。
我々は大人で、小中高生時代よりも自由に選択ができるわけなので、金と時間・精神を使って自分というどうしようもない存在を許していきたい。「ありのままでいい」なんて思えないけれど、「まあ、今の自分もそう悪くはないかもな」程度に気楽に考えられる道を選びながら、自分をなんとか大切にしていきたい。
Text/あたそ
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