子供の頃に抱いていた、立川へのイメージ

そこから先、毎晩老婆とは接近するようになったのだが、その間に老婆以外の厚化粧の露出が派手な女性も目にするようになる。彼女達は50代と見られた。果たして老婆の手下なのか、或いは同僚なのか、はたまた競合相手なのか。

いつしか老婆の姿は見かけなくなり、あの建物と建物の間の怪しい風景も終焉を迎えた。結局老婆の正体は分からないが、1990年代の立川のあの怪しさというのは忘れられない。

そして、僕が小学生だった頃、立川駅周辺というのは性への欲望がギラギラしている場所、ということになった。小学生だから大人が行く場所で何が行われるのかは分からないが、「踊り子キャバレーハリウッド」と「キャバレーロンドン」はめくるめくエロエロ世界が展開されていて、大人達の欲望を掴んで離さない。〇〇先生があの店に入るのを見たぞ、といった話は頻繁にされていた。

今でも後悔しているのは…

今となってキャバレーがエロいことをする場所ではないことは分かっているものの、1980年代~1990年代の立川というのは、欲望蠢く街だったんだな、と今でも振り返れる。南口のアタリメのニオイを口から出す痴女、そして北口の怪しい老婆だが、今、僕がニノミヤとして地道に生きている中、同じようなフリーランスの仲間だったんだな、なんてことも思ってしまうのである。

今でも後悔しているのが、老婆に「遊んで行かない?」とは一体何だったのかを聞かなかったことだ。風営法の関連で言えないことはあっただろうが、アレが一体何だったのか、死ぬまで僕の疑問として残り続けることだろう。

Text/中川淳一郎