こちらの一方的な通告だったかもしれない
先日、新宿の四文屋で後輩と飲んでいたとき、「人と喧嘩別れをするときは、必ずはっきり言ってから距離を置く」と話をしたら、「偉いですね」と褒められた。普通は、「この人嫌だな」「これ以上、親しくなる必要はないな」と思ったら徐々にフェイドアウトしていくらしい。誘いを断るようになって、連絡も少し素っ気なくする。返事もあまりしないとか、その辺りの巧妙な手段を使いつつ、相手の「あれ?もしかしたら嫌われているのかも?」と一定期間をかけ、直接的な表現をせずにやんわりと伝えていく。それが割と現世の主流らしいのだ。
え~……めんどくせ~……。「距離を置きたいこと、早く気づいてくれ!」とか罪悪感抱きながらやりとりするの、すげ~めんどくせ~……じゃないですか。なので、私は直接言ってしまう派で、具体的に何が嫌で、どうして距離を起きたのかを伝え、そこからきっぱり離れていく派だったりする。
今まで過ごしてきた時間が楽しく、自分にとって意味のあるものであったのは確かだから、相手に対して敬意を払いながら距離を置く方法は「自分の意見をはっきり伝える」という考えに行きついた。でも過去を振り返ってみると、距離を置きたい相手に直接伝えて、誰もが私の話に納得をしてくれ、連絡を取らなくなった。でもこれは一方的な通告のようなもので、喧嘩や言い合いに発展していない。反論もない。やっぱり人間関係の在り方として正しくないのではないか……?と思う。結局、私も「人間関係をリセットしようと思います」と宣言している人たちと、根本的に何も変わりはしないのだ。
人間関係の距離感を見誤ってしまう
「これからも1年か半年くらいのゆっくりペースで飲んでいきましょう……1か月に1回だと多分話したいことなくなっちゃうし」と後輩に話した、「いや、僕はありますけどね」とひどく気を遣わせてしまった気がしたし、「じゃあ、絶対に関係が続いていくと思っている友達って誰かいるんですか?」という質問もされた。
私は、人間関係の距離感をいつも見誤る。自分では普通だと思っていたのに、思っている以上にみんな傍にいて、私だけが逃げるように距離を広げていく。相手が自分を人として評価してくれること、対等に扱ってくれる事実は理解できているのに、それを言葉や行動に移して伝えられない。私はいつも間違えている気がする。
人との関係は揺れ動くもので、時間が経てば変化していく。何かきっかけがあれば、友達はまた友達になれる。相手のいることなので、深くは考えすぎないでできるだけいろんなことを相談する。可能な限り、受け身にならないで自分からも動いてみる。しっかりコミュニケーションを取って、相手の意見を聞く。とことん話し合ってみる。価値観や考え方が異なっている事実を受け入れる。この辺りができていれば、人間関係ってうまくいくのかなあ~……ってずっと思っていたんですけどね。
誰かと話をするたびに自分の嫌な部分が露わになって、優しい周囲の誰かを少しずつ傷つけ続けている感覚がある。この罪悪感も、相手にとって自分の存在は価値がないと感じてしまうゆえかもしれない。
Text/あたそ
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