誰かと対比しなくても

陽キャと陰キャって言葉が広く使われるようになったのは2010年代らしい。ちょうど、私が高校生だった頃だ。私は陰キャであっちは陽キャ。私は陽キャであっちは陰キャ。言葉にするわけではないけれど、それでもはっきり境界線があった。きっと誰の中にもその記憶はある。お互いにお互いを見下しがちで、なかなか混ざり合うことができなかった。陰キャは陽キャをくだらないと思いたがるし、陽キャは陰キャをダサいものとしたがる。本当は、そんなわかりやすい話ではないのに。流行り言葉ってのは恐ろしいものだ。使い勝手が良い分、人間から奥行きを消し去ってしまう。

カラオケにいた十数人が、それぞれどんな人間で、どんな風に生きてきたのか私は知らない。でも一つ思うのは、もしも10年前に同じメンバーでカラオケオールすることになっていたら、きっとこんなに「面白い」と感じることはできなかったということだ。それは、私の呪いの問題でもあるし、同時にみんなの呪いの話でもある。若さは輝きで、呪いだ。大人になり始めだったあの頃、私たちはみんな、他人をカテゴライズせずにはいられなかった。その反射でしか自分自身が見つからなかったからだ。「山手線ゲームをする人」と「山手線ゲームをしない人」。この二つに膨大な意味を与えてしまっていた。馬鹿だったなぁと思う。ごめんねとも思う。かつて冷たくしてしまった全ての陽キャに謝りたい。誰もくだらなくなんてなかったのに、くだらないみたいに思い込んでごめんなさい。これからは、仲良くなってみたいです。私はもう、大人だから。あなたももう、大人だから。誰かと対比しなくても、自分の形はわかるから。

Text/長井短