恋と政治〜迫る都知事選編〜

二十代前半の頃、よく遊ぶ男の子がいた。会うのはもっぱら夜で、仕事の後に渋谷新宿。鶯谷で待ち合わせることもあった。つまりそういうことである。ネオンの中でしか会わない気楽さが心地よくて、他の人には話せないようなことをたくさん話した。あぁ、楽しかった日……! どうして急に思い出したかというと、もうすぐ都知事選だから。意外だろ? 彼との記憶は、政治と結びついている。迫る投票日に向けて、今回は恋と政治( そんな大した話ではない)。

政治にまつわる恋の話

彼とはとても気が合った。聴いてる音楽や見た映画はもちろんだけど、何より嫌いなものが同じだったのだ。「今日仕事でこういうことあってさ〜」と話し始めれば、すぐほしい相槌が返ってくる。「それ私が言いたかった!」と思うような完璧な比喩もあったし、類似した人物の話が始まることもあった。チェックアウトギリギリまで、しゃべっては黙ってしゃべっては黙ってを繰り返す日々の楽しさは、もう伝わっただろうか。そんなマイメン君と、初めて「違う」と感じたのは、一緒にお風呂に入っている時だった。

向かい合わせで湯船に浸かって、世間話でもしていたんだと思う。その頃、世間は衆議院選挙直前だった。私は少しずつ手に馴染み始めた選挙権をどう使おうかワクワクしていて、だから、裸で彼に言ったのだ。「そういえば、誰に入れるか決めた?」別に個人名を聞きたかったわけじゃない。ただ世間話の一つとして「悩むよね〜」とか「何で候補者見てる?」って情報交換できたらいいなと思ってのことだった。要するに深い意味は無いのである。

マイメン君はピンク色に染まった顔でほんのり口を開けて「あー」と言った。その返答の歯切れの悪さに「あれ?」と思う。なんかあんまり聞かない方がいい話題だったのかな。政治のことって繊細だったりするし、でも、そういう常識とかってどうでもよくない? だって今裸だぜ? ひとまず「悩んでんだよねー」と言葉を続けると、彼は沈黙の後に「俺選挙行ったことないんだよね」と言った。
どっひゃー!!!! マジかよ!! マイメン君は当時30歳前後である。茹った身体からまず飛び出て来たのは「もったいな!」という言葉だった。馬鹿みたいである。

私にあって彼にないもの

マイメン君は、ただなんとなく選挙に行ったことがないらしかった。別に行きたくないと思ってるわけではないけど、面倒臭いし、忙しいし、よくわかんないし。その気持ちはとってもわかる。実際私も、スマホに大量の選挙サイトのタブを開いているだけであんまり理解できていなかった。なんか授業で選挙の仕組みってやった気がするけど全然覚えてないし、常識の授業とか高三の最後にやってほしいよね。税金のこととか住民票のこととかさ。海に放流する直前でやってくんないと忘れちゃうじゃんね〜なんてひとしきり二人で文句を言った。同じ文句を持っている。知識だって同じくらいで、すぐ会える距離に住んでいる。だけど、片方は投票に行ってもう片方は行かない。この違いはなんだろうと、どんどん熱くなる脳みそで考えた。なんとなく、この話はお風呂でした方がいい気がしたから、浴槽の淵に腰掛けて少し身体を冷ましたりしながら。
私にあって彼にないものは、選挙への興奮だったと思う。私は自分が投票に行けるようになったことにまだ興奮していたし、その行為にシンプルにわくわくしていた。「大っ人〜!」とかって自分に酔っていたんだと思う。それに対して彼は、自分の持つ権利に何の感情もないようだった。彼はおおらかな人で、私はケチだったから、その違いが不思議に露出したんだのかもしれない。

どこに投票するかに興味はなかった。ただ、とにかく投票に行ってほしいなと思った。素敵だな、かっこいいなと思っているマイメン君。関係性は独特だったけど、普通に彼が好きだった。だから、ダサいことしないでほしかった。「行ってみると結構楽しいよ! 母校も入れるし」「あとなんか、達成感がある!」できるだけくだらない理由で、投票に行くことを提案した。でも彼は、のぼせたみたいにボゥっとしたままで、言葉が心に届いていないとわかる。「ちゃんと行ってて偉いね」って言葉が決定打だった。偉いとかじゃねーし。普通のことだし。だけど今思い返すと、あの頃「選挙行くの偉いね」と言う人は沢山いた。稽古終わりに期日前投票に行くと言って褒められたり、劇場入り前に投票して来たと言うと褒められたり。猫がトイレでおしっこできたら偉いけど、大人がトイレでおしっこできても偉くない。ひょっとして私は猫なのか? そのくらい不思議な褒め言葉だった。