投票で繋ぎ止められる愛がある

私からの止まらぬ投票のススメに対し、彼は言った。「行ってもなんか、意味なくない?」あーね。私は、そう思っちゃう気持ちがわかりながらも、馬鹿言うんじゃないよとも思う。意味、なんて。そんなこと言い出したら、私たちの逢瀬にだって意味はない。私の仕事にも、彼の仕事にも、意味はない。そんなものは自分で作るものだろうと私は思う。行動に意味を持たせるのって、他人とか社会じゃなくて自分じゃないの? 彼の、生き方に自分なりのロジックがあるところが好きだった。借り物の言葉でなく、自分の言葉で喋るところが好きだった。なのに、たかが選挙に行く意味を自分で作れないなんて。なんかがっかり。優しい言葉で彼の興味を惹こうと頑張っていたけどやーめた。

私はシャワーのハンドルを回しながら「意味はあるでしょ」と言った。シャワーヘッドから出てくる水と同じくらい、冷たい言葉だった。こんな風に話すのは適切じゃないなと思い、水がお湯に変わっていくのに合わせるように言葉を続ける。「気持ちはわかるけど」「でも行かないと文句も言えないし」「それに、だんだん仕組みがわかるのって面白いよ」どうして、彼の機嫌を取ろうとしてるんだろう。喧嘩なんてしてないのに。「先出てるね」と言ったとき、そうか私は悲しかったんだとわかった。好きな人が投票に行かないことが、とても悲しかった。

彼とは特に何の理由もなく、だんだん会わなくなった。原因を作るとしたら、シンプルに飽きたのと、お互い忙しくなったからだと思う。今、彼が選挙にどんなスタンスなのかはもちろん知らない。今度の都知事選に行くのかももちろん知らない。2度と会うことはないだろうけど、行ってたらいいなと思う。風呂場でセフレに叱られたことが理由じゃなくていい。なんでもいいから彼なりの意味を作れていたらいいな。その方が面白い人間に決まってるんだから。
世の中には私のように、好きな人が選挙に行かないと知ってがっかりする人がいる。悲しくなってしまったり、それで冷めてしまう人がいる。裏を返せば、たかだか選挙に行くだけで、繋ぎ止められる愛があるのだ。だから行こう。意味なんてとりあえず、そんなもので十分だから。

Text/長井短