緊縛されたら「強烈に向き合われている」という感覚で涙が出た

先週末、友人の芙羽忍さんの生誕祭に参加してまいりました。芙羽さんはSMの女王さまでかつ、脱毛サロン『SLAY』や女性向けSM風俗店『LOTUS』を経営していたり、保護施設を出たばかりの若い女性の自立をバックアップする社会事業をしていたり、緊縛教室を主宰していたり、『カルト研究会』というものを組織してカルトについての多方面でご活躍している。そして先日は大井町に立ち飲みの『飲み食い屋 かっぱ』をオープンした。わたしの知る中でもトップクラスでバイタリティ溢れる女性です。そんな芙羽さんと知り合ったきっかけは、アダルトビデオのプロデューサーを務める友人男性が芙羽さんから縄を学ぶにあたり、縛りのモデルを頼まれたことでした。

緊縛は好きだけど複雑な思いがある

と、本題に入る前に。実はわたしは緊縛には少し複雑な思いがあります。というのも、わたしは大学時代にSMショーのモデルをやっていたことを公言しているせいか、誤解されがちなのだけれど、そもそもの性癖がマゾっていうわけではない。カルチャーとしてのSMは好きであるし、実際やれといわれたらマゾっぽいこともわりとできるし、SMクラブでM女としてバイトしていたこともある。一年に一度くらいは「釣りに行きたい」「コストコでホットドック食べたい」と思うくらいのテンションで「しばかれてぇ!」と思うこともないでもないけれど、基本的にはノーマルな性癖だと思っている。

わりと緊縛は好きだが、自分でもどうかと思うけれど、かつて縛られることでお金をもらっていたというくだらないプライドが邪魔して、下手な素人には縛られたくないという思いがある。尊大! なので、ショーに出なくなってからは、緊縛教室を取材する等の仕事以外では、基本的には縄とは疎遠にしているのだけれど、友人に縛りのモデルをしてほしいと頼まれた時にふたつ返事で「いいよ」といったのは、その知人と親しかったこともあるし、名前だけは知っている芙羽忍さんに興味があったからでした。

まったく別モノの緊縛だった

友人とともに芙羽さんのところを訪れたその日は、ちょっとした衝撃でした。というのも、縛り方の指導をしつつお手本として芙羽さんがわたしの体に縄を掛けた時、「強烈に向き合われている」という感覚が生まれて、感極まって少し泣いてしまったのです。過去、縛られてそんな気持ちになったことも、もちろん泣いたこともなかったので自分でもビビった。嘘だろと。そして思い知ったのは、かつてSMショーに出ていた時は意識を客に向けていたけれど、そうではなく縛り手と思いを通じ合わせるように縛られると、まったく別モノになる、ということでした。

そんな芙羽さんの生誕祭はDJあり、緊縛ショーありで、たくさんの人が参加して華やかでした。時間の関係でわたしは参加できなかったけれども、節分の日だったこともあって、本気の豆まき大会もあったらしい。どんだけ本気か目撃したかった。芙羽さんはホントに素晴らしい女性だと思うのですが、ひとつ文句があるとすれば、芙羽さんに縛られたことで、まずますわたしの緊縛の満足レベルがあがり、「そんじょそこらの人に縛られてもねぇ」という気持ちがさらに強くなってしまったことです。己の傲慢さが憎い。

Text/大泉りか