何を選んでも無駄なことはない

何かを続けていく努力をした覚えもなく、本当に気づいたら6年が経過してしまった。でも、振り返ってみれば、続けたからこそわかったことや続けてこなければわからないことがたくさんあることに気がつく。

例えば、どうしても首が回らなくなったときの身の振り方とか、職場の人に自分のプライベートを開示せずにそれなりの距離感でやっていく方法とか。誰かに助けてほしいときの依頼の仕方とか、繁忙期でも自分を追い詰めないでそこそこにやっていく方法とか。あれだけ「会社員に向いていないなあ」と思っていた自分が、それでも会社員としてやっていかなければならないとき、どのような立ち位置を保ち続ければいいのか? とか。苦手な仕事・退屈な作業をどうやって乗り越えていけばいいのか? とか。

履歴書や職務経歴書の書ける内容ではないし、何かのスキルに繋がることはない。それでも、長年続けて来なければ、時間を有して試行錯誤を繰り返さなければわからないことはたくさんあったなと思う。

自分の好きなミュージシャンやバンドが、長年活動を続けていてくれたり、メンバーチェンジをせずにコンスタントに新譜をリリースしてくれるありがたさを実感できるようになったのも、自分が同じ会社で働き続ける難しさを身に染みて理解するようになったからだ。

あまりにもポジティブすぎるかもしれないが、結局無駄なことなんてひとつもない気がする。仮に、私が別の会社で働いていたとしても、今の会社を2年以内で辞めていたとしても、そこでしか得られなかった経験や知識がきっとあって、また別の要素を持つ自分がそこにいたのではないかと思う。

やったこと・やらなかったこと、できたこと・できなかったこと、あらゆる選択に意味はあって、考え抜いて悩み続けて、それでも決断したことに大きく意味があるのだろう。それは、仕事だけではなくて、結婚とか出産とか住まいとか人との関係とか。色んなことに言える気がする。

6年も働き続けているのに、実はまだ飽きていない。きっとすぐに辞めたくなるし、文句も不満も無限に出てくるけれど、それでももう少し頑張る気でいる。多分、その選択が今の私にとっては正しい気がしている。今の会社で働き続けて、何かのタイミングで辞める日が来るまで、私なりにそこそこ頑張っていくつもりだ。

TEXT/あたそ