失敗を笑うのは「かわいいから」と分かってはいるけど

じゃあ、「かわいい」って一体なんですかね? ふと考えることがある。100%の善意で向けられることもあるが、それだけではない。この笑いが起きる要素として、「かわいい」「微笑ましい」という部分がもっとも大きな部分を占めるじゃないですか。本来いい意味であるはずの「かわいい」の定義が自分のなかでぐらつく。

もちろん、言葉の持つ意味なんて立場やシチュエーションによって左右される。多少の違いがあれど、「かわいい」が欲しくてダイエットをしたり整形をしたり美容を頑張ったりしている人もたくさんいるけれど、結局人に向けられた「かわいい」という感情は、マイナスの一面も併せ持っているように思う。だって、会社の上司には言えない。取引先の人にも初対面で「かわいいですね!」なんて言えば、失礼に当たるだろう。公共の場で使う言葉として、心理的な距離の遠い対等・もしくは自分より目上の人相手に使うべき言葉ではない。どちらかと言えば、より距離感が近く、自分よりも弱い存在・守るべき存在に使われることの多い言葉であるように思う。

だから、失敗することが「かわいい」につながる。アイドルや芸能人は特にそうなのかもしれない。自分の手の届かない雲の上の存在が、自分とそう変わらない失敗をすればより身近に感じられる。その距離がぐっと近くなる瞬間に、「かわいい」という感情が湧く。そして、微笑ましさにつながっていく。完璧で美しい人間がときに見せる不完全さは、更に人を惹きつける。だからこそ、この「かわいい」の感情には、ある意味でネガティブな一面があるのだと思っている。

集団心理的な一面もあるのだろう。何が面白いかわからないけれど周りにつられて笑うことも、大勢のなかに興奮状態でいるとオーバーリアクションになりがちになることもある。「人の失敗は笑うべきではない」と思っていても、その場の空気感でつられて笑ってしまうことも誰の記憶のなかにもあるはずだ。それでも、私はこの手の笑いが起きる度に嫌な気持ちになる。自分がみっともなく思えてくる。その対象が自分でも、自分以外でも。

だからこそ、例え失敗したとしても一生懸命に頑張る姿には真剣に向き合いたい。「かわいい」「微笑ましい」という感情にもつなげず、ただただ人の努力とかけてきた時間や才能について称賛し続けたい。頑張った結果、惨めさや屈辱感につながっていくなんて、そんなのってない。周りの空気感に流されたりせず、常に温かい拍手を送りたい。どの国や地域にも嫌な文化や習慣はあるはずだ。でも、そうやって少しずつ自分や周りを日本の嫌な文化・ネガティブな部分と引き剥がせていけたらと思う。

TEXT/あたそ