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必要とされてもたまには無視してゆっくりしよ/長井短

寒くない…? 突如冬じゃんって感じで混乱してるけど皆さんはいかがお過ごしですか〜? 春も夏も別に調子良くはないけど、冬はまた一段とな…寒いと血流が悪くなるし、気分も落ち込むよな。コロナだし。これからもヘラヘラ生きていくためには、どうしたらいいんだろうってことを最近よく考えます。できるだけ全員が、リラックスした状態で生きていける世界だったらいいなぁ。なので今回は、私なりの「体が強張らない人間関係」について書こうと思います。無理をしない! これが人生のテーマ。

重たい友達

人生がどん詰まったときにやることがあって、それは「紙に友達の名前を書き出してみる」こと。キモいよね…と思いつつ、真っ白な紙が自分の好きな人たちの名前で真っ黒になるのはとても心地良くて、それを見るととても安心する。なので、もし一人ぼっちな気がして辛い時は、みんなもぜひやって見てほしい。(小さい紙でやることをお薦めします。埋まらないとキツいから)

紙に書き出すためには、まず頭の中に友達たちを思い浮かべる。浮かんでくる順番は、最近会ってるかとか、いつから友達かとかは全然関係なくて、本当にランダムなんだけど、時々、浮かんだ名前を紙に書くときに、何か目に見えない重たさを感じることがあるのだ。これ…何?

そんな違和感を感じながらも名前を書き続けてみたのは、だって友達だし、友達は多い方が安心する気もするしって理由だったんだけど、その度に友達ってなんだろうと思う。

わりと頻繁に連絡をくれたり、時々ご飯に行くったり、起きてることだけを見ればしっかりと友達なのだ。でもなぜ重たさを感じてしまうのかというと、振り返ってみるとその子に会った後はいつだってどっと疲れていた。疲れて家に帰ってきて、もうしばらく会うのはよそう、こちらからは連絡しないでおこうとも思う。不思議なことに、その気持ちを忘れた頃に決まってその子から私に連絡が来て、ご飯に行って、以下無限ループです。

どうしてあんなに疲れるんだろう。お酒を飲んで、ご飯を食べて、私は笑っているはずなのに。

自動音声で送る相槌

私は友達が欲しい教の熱心な会員だから、友達は多いほど良いと思っていた。ご飯に行く人はみんな友達だとも思っていた。でも、この前提が私の首を締めているのかもと気付いたのはつい最近のこと。いつも通りその友達に誘われて飲みに行ったとき、息苦しさを感じたのだ。

彼女が私に話してくれる、最近あった嫌なこと、悲しいこと、嬉しかったことを聞いているとき、自分が肯定的な相槌しか口にしていないのに気づいた。「そうだよね」「わかるよ」「偉いね」「おめでとう」スルスルと口から出てくる言葉に、意味が宿っている気がしなかった。心の中では「へぇ」としか思えないことに「凄いじゃん!」と言ったり、「よくわかんないかも」と思っているのに「なるほどね」と言ったり。嘘はついていないけれど、本心ではない相槌たち。つまらなくはないけど楽しくもないのに立てた笑い声。「またね〜!」と手を振って別れたあと、一人で改札を抜け電車に向かっている間、顔に笑顔が張り付きっぱなしな事に気がついた。その時初めてわかった。自分の心と距離がある振舞いって、つらい。

辛かったのかもと気づいてから彼女との時間を振り返ると、私の相槌と彼女の相槌に違いがあることにも気付いた。私が肯定的な相槌を打つのに対して、彼女の相槌は否定的なのだ。「馬鹿じゃないの」「よくわかんないけど」「なんだそれ」そして、絶対に、「おめでとう」とか「よかったね」って、言ってくれない。

こうやって書いてみると「いやそんなやつ友達じゃないっしょ」とか「なんで会うの? やめなよ」って思うかもしれない。私だって書いてて思う。でもこれ、渦中にいるとわからないんだよ!! だから地獄なの!!!! 別にお祝いしてほしかったり褒めてほしくて友達でいるわけじゃないわけだから、なきゃないで全然いいんだよ。でも「なんか疲れたし、ちょっと気分悪い瞬間もあったけど、まぁ友達だしいっか〜」って、思ってしまうんです。この「友達だしまぁいっか〜」が、じわじわと私の首を締める。人間関係に対して得体の知れないストレスがある場合、理由の多くはここにあるんじゃないかと思う。

いっそ彼女のことが嫌いだったらいいのに。そしたら話は超シンプルで、嫌いだから会いませんで終わる。厄介なことに嫌いとかではないのだ。友達だと思っているくらいだし、好きなところだってある。話を聞きたいなと思うし聞いてほしいなと思う。何より、友達でいたいのだ。

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