年下と接して自覚する年齢
以前、年下の新入社員の方2人に「お話しするの緊張します」と2日連続で言われ、「あ~これが老害の始まりなのかもなあ」「挨拶程度の最低限のコミュニケーションに留めて、深く関わらないほうがお互いのためなんだろうなあ」と思ったことがある。
私は、年下の人とのうまい関係の構築の仕方がわからないでいる。その話をランチの時間にしたら「僕は○○さん(私です)、話しやすいと思いますけどね」と同じチームのAさん言われて、はたと気がつく。私は色んな場面でこの話をしていて、その場に一度Aさんがいたことがあり、同じように「話しやすいと思いますけどね」と反応をしてくれたことを思い出し、同じ話をした記憶が吹き飛んでいる自分自身に対して若干のショックを受ける。
上司や先輩から何度も何度も同じ話を聞かされて、反応に困ったことなんていくらでもある。さして趣味の合わない会社の人相手なので話題にできる内容が限られているといえど、流石に同じ話をしすぎではないか……? この人の全盛期はこの時だったのか……? と同じ自慢話を聞かされながら若い頃の私は考えていたけれど、年齢を重ねた今、まったく同じことをしている。これは、本当に老いとか老害の始まりなのではないか? と思っている自分がいる。
当然ではあるが、年齢を重ねると年下が増える。つまり、気遣ってくれる人が増えるということになる。これは接待として頷いているのか? それとも本気で面白いと思っているのか? という境界線が加齢とともにどんどんわからなくなってくる気がする(まあほとんど接待だとは思うが)。会社の上司を見ていると、自分も同じ道を歩み出している気もするし、それでもコミュニケーションの一環として腹をくくって大して楽しくもない飲み会の席で多めにお金を支払わねばならない日も来るのかもしれない。
人には「年齢関係ない」と言えるけど
それだけではない。女性だと特に年齢との付き合い方が難しくなってきませんか? 皆さん、どうしているんでしょう?
今までだって、散々「女はクリスマスケーキで25過ぎて結婚していなかったら貰い手がいない」「女は30を過ぎたら終わり」「女は若さが命」とか散々言われてきたのに、それでも加齢は避けられない訳で。なんなら、女性の平均年齢は87.45歳なので女として終わってからのほうが人生長いんですよね。女として終わったら、私はどうやって生きていけばいいんだろう。今までだって一度たりとも誰かが教えてくれたことはなかった。
年齢を言えば微妙な顔をされたり、「え~もっと若いかと思ってました!」と社交辞令を言われる。デリカシーのない人には「もうおばさんじゃん!」とか「結婚と子どもは考えてないの?」という反応が返ってきたこともある。誰も年を取った女の生き方を教えてくれないし、誰しもが経験するはずの加齢を肯定してくれない。年を取ったらそれで終わり。全部終了。何もかもを諦めて、みじめに控えめに何かに遠慮しながら生きていくしかない。さまざまな権利すら奪われる。いろんな体験が少しずつ折り重なって、そう言われ続けてきたような気がする。
もちろん私自身は、他者に対して「年齢なんて関係ない」と本気で思っている。それは、生活が多様化した今だからこそ、ますます思うようになった。結婚や出産だけがすべてではない。男の人に幸せにしてもらうことだけが女の人生ではない。目標があるなら挑戦すればいいし、おかしな服を着たっていい。食べたいものを食べて、好きなところに行って、自分が思うまま、健康にだけは気をつけながら自由に生きていけばいいと思う。
なので「もうおばさんだから」と自虐している人や「おばさんなのにね」と年齢を理由に他者を馬鹿にしている人を見ると、ものすごく悲しい気持ちになる。おばさんであること、年齢を重ねることの何が悪いんだろう。人の目や他者の価値観なんて気にしなくていいはずなのに。何かを諦めるには理由が弱すぎるのではないだろうか。
人は誰しもが年を取って、おばさんになっていく。それは、絶対に避けられない。その“女として終わった”長い人生のなかで、大きな目標ややりたいこと、してみたい服装、行ってみたい場所なんてきっと山ほどあるはずだ。その自分の生き方や選択を、従来の女性の普通の生き方に当てはめて諦めたり断念したりしたくないと思っている。だからこそ、自分より年上の女性には、年齢を言い訳にしてほしくないのかもしれない。
年齢はただの数字って本当?
でも先日、友達と飲んでいて、「もう私の年齢では恋愛も結婚もできないと思っているから諦めている。終活を始めようと本気で考えている」という話をしたら、「いやいや、全然早いでしょ」と全否定された。早いのか? そうなのかも。でも、それは魅力的なあなただからそう言えるのであって、女性としての若さを失った私には何も残されていないのかも。自分自身のことになると、途端に年齢を理由に色んなことを諦めたくなる。年齢を自覚しながら生活していると、できないことややれないことがどんどん増えていく気がする。
他者の加齢を肯定することと、自分自身をわきまえて生活をしていくことのバランスの取り方は難しい。私は、老害だと思われたくないし、年下の誰かを私の発言が原因で嫌な気持ちにさせたくない。気を遣われるくらいなら、最低限のコミュニケーションしかしない。対等な関係でいる努力をすればいいのか? でもそれも結局相手の気遣いがあってこそ成立する気がする。
そんなことを考えながら、他者には「年齢なんて関係ないでしょ」「おばさんとか言わないでよ!」と私ははっきり言うのだ。とても矛盾している。年齢なんてただの数字というけれど、本当だろうか? 私は全然そんな風に思えない。抗って生きていけたらいいのに。この数字からいつになったら逃れられるのだろう。一切の罪悪感を覚えずに、好きなように振る舞えるのだろう。
TEXT/あたそ