生まれ続けるわたしにお誕生日おめでとう/佐々木ののか

佐々木ののか

“普通”の人生から“転落”して生まれ直した

“普通”の人生を歩むはずだった。

学費の安い国公立大学に入って、安定した会社に入社して、結婚して、子どもを産んで、という一枚絵に向かって走ってきた。今から10年前にあたる大学生時代は恋人と同棲したり旅行したり、スタンプラリーのようにコマをひとつずつ進めていくごとに安心を覚えた。やりたいことはあるようでなくて、恋人と一緒に過ごせれば、結婚できればそれでよかった。好きな人が、側にいる男の人が、私のすべてだった。

そんな私が最初に生まれ直したのは、社会人1年目のときだった。新卒で入った会社で体調を崩し、恋人にフラれ、描いていた未来が瓦解した。小さい頃から参照してきた一本道の古地図が当てにならなくなって絶望し尽くした。しかし、今思えばそれは、何も参照せずに生きる新しい生のはじまりだった。私はそれまで人生最大のゴールに据えていた結婚を一旦諦め、会社をぼんやりと辞めて、「お小遣い稼ぎになれば」という低すぎる志でライターになり、第二の人生を歩み始めた。

会社を辞めてすぐに、すごく好きになった人がいたけれど、〔交際〕するのは難しそうだった。好きな人と人生を交差させるにはどうしたらいいだろうというのが目下、私の最大の関心ごとになり、「交際や結 婚以外のオルタナティブを探すこと」を活動の主軸にまでしてしまう。加えて、若い女のフリーランスは修羅道だ。「若さも人気も水ものだよ」と脅され、「食えなくなったら結婚すればいいもんね」とナメられ、「連載を持たせてあげる」と呼び出された密室でセクハラを受け、収入には当たり前に波がある。

公私ともに行先も方角もわからぬままに大海を泳ぎ続けなければならなかった当時の私には、ドーパミンを摂取して頭をバカにすることが必要で、いろいろな男の人と交流して命を繋いだ。下品で暴力的な物言いが許されるなら、求められれば誰でもよかった。利害がたまたま一致しただけで、彼らにとっては都合の良い女以外の何者でもなかったかもしれないし、中には本当に嫌な思いをさせられた人もいる。けれど、ベッドにダイブした人たちのほとんどは戦友、彼らとの夜は息継ぎ。顔も本名も何をしたかもおぼろげだけど、延命させてくれてありがとう。

憧れと殴り合ってきちんと敗北した

行きずりの人とハイタッチを繰り返し、好きな人に“一途に”想いを寄せる一方で、交際が現実的に考えられそうな人とは真剣に関係を築いていこうとしたこともあった。しかし、タイミングが悪かったり、一方の依存度が高まったりしてそのほとんどがダメになってしまったとき、私はまた会社を辞めたとき同様に打ちひしがれてしまった。自分で選び取ってきたはずなのに、疲れているときは特に「簡単に“させる”女は自分の価値を下げている」という世の中の物語に足元をすくわれそうになった。そんなときに現れたのが、元配偶者の彼だった。

思えば会社を辞めてからの数年の間に、好きだとまっすぐ伝えてくれたのは彼だけで、私は舞い上がってしまった。法律婚以外のオルタナティブを探してきたくせに、全部放り投げて結婚してしまった。自分が受けてきた不条理が「結婚」ですべて帳消しになった気がした。「結局のところ結婚に憧れていたのではないか」という内なる声には布を被せた。私の結婚に“反感”を示した友達とは距離を置いた。ずるいことをしている自覚はあった。それでも、幸せになりたかった。

だからこそ、結婚生活が傾いても、離婚を切り出されても必死に食い下がった。一度手に入れた憧れを手放したくなかった。けれど、手放さざるを得なくなったとき、結婚で帳消しになっていたはずの悲しかった過去で全身がベタ塗りにされた。それまでの何もかもが間違っていたような気持ちになった。