「まだ生まれ直せるんだ」という瞬間が何度でも来る

紙切れのような自尊心は胸に仕舞っていても外から簡単に透けて見える。離婚して1年は“離婚特需”の恩恵を受け、やさしくしてくれる男の人を頼って華やかかつ過激に遊んだ。相手が私を好きではないことを知っていても特攻したのは、刺激を浴びて悲しい過去を忘れたかったからだと思う。彼らから養分を得て、それでも自尊心を少しずつ取り戻した。

けれど、特需の波がほぼ終焉を迎えると、それまで糧にしていた〔男の人〕という存在をも失って、どう生きて行けばいいのか本当にわからなくなってしまった。何か行動するときの参照先は、私の意志ではなく、彼らにあったからだ。

判断軸である彼らを失い、毎日は寄る辺なさと喪失感に浸された。それと同時に、私はそのとき人生で初めて、自分のためにだけ生きてもいいのだと知ったのだった。

それまでは男の人に呼ばれればすぐに会いにいけるように予定を調整していた。精神的に落ち込んでいると聞けば、自分の精神状態が悪くてもめいっぱい励ました。生まれてから今まで、男の人と時間を過ごしたどの瞬間も、そこに“私”はいなかった。

今まで自分の生き方の大半を占めていたものを失ってつらくないわけでは全くない。けれど、自分の人生を生きていいのだという他の人にとっては当たり前の、私には身に余るほどの自由がうれしくて大声を出して泣いた。それはもう何度目かになる、生まれ直した私による産声だった。

会社を辞めたときも、離婚したときも、本当の意味でひとりになったときも、圧倒的な喪失と引き換えに、私は生まれ直してきた。これで終わりだと思ったのに、まだ先があるんだ、まだ生まれられるんだと思う。生きている間にあと何回失って、生まれ変われるのだろうと思うと怖いけれどワクワクする。

過去を思い出して死にたくなる夜もある。現在をも肯定できないときは焼けそうになる喉を引っ掻き回したくなる。そんなときこそ、私は大手を振って、2倍も3倍も声を大きくして、生まれ直した未来に続く私を祝福してやりたい。

おめでとう。
おめでとう。
生まれ続けるわたし、お誕生日おめでとう。

AMさん、8周年おめでとうございます。