何かを好きでい続けることの大変さ

たまに、「いつまでこんなことできるのかな」って考えるんですよ。今までも結婚・出産を機に行けなくなってしまった友達、仕事の関係で休みが取れなくなったので断念せざるを得なくなった友達、特に理由はないけれどなんとなく行かなくなってしまった友達。色んな理由でフジロックに行かなくなった人を私は見てきた。

この4年の間には、新型コロナウイルスの流行もあって、音楽そのものに対する姿勢みたいなものがガラッと変わってしまった人だっている。そういう友達の様子を見ていると、人生のステージが何も変わらない自分に少しの焦りを感じながらも、同じくらいの寂しさを覚える。取り残されているような、置いてけぼりにされたような気持ちにもなる。

それだけじゃない。フジロックにはお金もかかるし、加齢とともに体力もなくなっていると思う。わざわざ月末に有給を取って新潟まで行って、大金払って朝から晩まで遊び続けるって、会社員として働いている身からすればそう簡単にできることではない。そもそも自分のフジロックや音楽に向けられた興味そのものがいつまで続くかわからない。フジロックだって、永遠に続くものじゃない。

もちろん、これはすべての趣味に対して言えることではあるかもしれないけれど、単純に今までは辞めるために理由が自分にはなかっただけ、見つけられなかっただけで、なんとなく好きでい続けてしまっただけなのかもしれないなと思う。

何かを好きでい続けることって実は結構大変で、想像以上の努力とエネルギーがいる。時間が経過し、生活環境が変わるなかで同じだけの熱量を維持し続けることって意外と簡単じゃない。何かを辞める理由って明確でとてもはっきりしているけれど、好きでい続ける理由ってシンプルで曖昧で不安定なように思う。単純に、「好きだから」「楽しいから」とか、自分の感情のみが、自分を突き動かしている気がする。

私っていつまでフジロックに行くんでしょうね? 周りは結婚して子育てをして家や車を買ったり親孝行の一環で両親と旅行をしたりしているのに。私だけいつまで経ってもずっとずっと変わらないで音楽を好きで、年齢相応の生活から目を背けながら、毎年なんだかんだ苗場に向かっている。全然大人になれている気がしない。それでも、私には辞める理由や達成感みたいなものが見つけられなくて、フジロックの会場で得られる高揚感みたいなものが忘れられなくて、なんだかんだ来年も同じようなことを思いながら参加するんでしょうね。

TEXT /あたそ