優しいパートナーでも、お金でもない「幸せな人生」に必要なもの――『地下世界をめぐる冒険』

by Noah Silliman

「幸せな人生」と聞いて、あなたが真っ先に思い浮かべるイメージはどのようなものだろうか。高収入で優しくて育児も率先して行ってくれる夫(妻)といつまでも仲の良い夫婦として暮らすこと? キャリアを積み上げ年収を上げ、仕事にやりがいや充実感を見出すこと? はたまた、派手さはなくとも身の丈に合った、ミニマムでシンプルな部屋で丁寧に暮らすこと? 

どれも決して悪くないし、私自身もそういったものを「幸せな人生」としてイメージする感性がまるきりゼロというわけではない。というか、日本で普通に暮らしていたら、誰しもがこのイメージに多かれ少なかれ寄っていくものだろう。

ただし、凡人が目指そうと思って目指せるものではないという注釈を添えた上で、おそらく究極的に「幸せな人生」は、上のイメージのどれにも当てはまらないものなんだろうな……とも考えてしまう。究極的に「幸せな人生」って、たぶんフランスで「シュヴァルの理想宮」を完成させた寡黙な郵便配達員のシュヴァルさんの人生みたいなことを言うのではないか。

シュヴァルって誰? と思った人は詳しくはググっていただきたいが、たった一人で石を拾い積み上げ、なかなかの規模の建造物を完成させたおじいさんである。『シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢』という映画にもなっているので、興味がある人は見てみてほしい。

40年間穴を掘り続ける人生、羨ましい!

話は変わって、今回語らせてほしいのはウィル・ハント著、棚橋志行訳『地下世界をめぐる冒険』だ。著者はアメリカ出身のノンフィクション作家で、16歳のとき近所にあった地下トンネルに入って以来、地下世界の虜になった。本書はニューヨーク、パリ、カッパドキアなど、世界中の地下を著者が探検してみた記録である。

思うのは、本書に登場する人々や著者、あるいはシュヴァルさんのように、「周囲を一切合切無視して生涯をかけてもいいほど虜になってしまうほどの何か」に出会えた人生はとてつもなく幸福だということである――いや、異論は認めるけれど。

本書では穴掘りに取り憑かれ、40年間も自宅そばを掘り続けついに歩道を陥没させてしまったウィリアム・リトルという男が紹介されている。記者がリトルに「なぜあなたは穴を掘るのか」とインタビューしても、リトルの回答は毎回異なり的を得ない。おそらく他人にわかりやすく伝えられるような理由などないのだろう。そして著者が調べるうちに、リトルのように穴掘りに取り憑かれた人は世界中にけっこういることが判明していく。

彼らは意味もなくずっと穴を掘っているわけで、周囲からすると変人で狂人だ。が、経済的に破綻しない範囲で、まわりに白い目で見られるくらいに収まる趣味というかライフワークというか創作意欲を刺激するものというか……そういうものに出会えた人生を、私はときどきとても羨ましく思う。

優しい夫(妻)も年収も仕事におけるやりがいや充実感もすべて外部に依存しており、儚いし移ろいやすい。しかし「石を積み上げたい!」や「穴を掘りたい!」などの内的欲求は外部が介在しないので、さすがに戦争とかが始まったらできなくなるけど、幸せの基盤としてとても強固な気がする。う、羨ましい〜。