日本語はどう喋ると「それっぽく」なる?

本書で私が特に面白く読んだのは、最終章のワ語にまつわるエピソードだ。アヘンの材料であるケシを栽培している中国の辺境に高野さんは足を踏み入れるのだが、1990年代のワ州には、まだ「ありがとう」「こんにちは」「ごめんなさい」にあたる言葉がなかったという。それから「友だち」という言葉もなかったらしい。村の人は全員生まれたときから知り合いで、「友だち」と「友だちじゃない人」を区別する必要がなかったからだろう。挨拶語や儀礼語も、ある程度近代化され経済的にも発展している社会以外では、そこまで必要とされない。

他にも、どの言語にもその言語特有の「ノリ」があるなんて話も興味深い。タイ語は口を大きく開け、音程は高め、鳥のさえずりのように上品に喋るようにするとそれっぽくなるらしい。マッチョは嫌われる。ちなみに日本語は、目を合わせず口もあまり開けず、ぼそぼそ喋るとそれっぽくなるという。悲しいかな、でもまあそうなのだろうと思う。言語にも性格があって、その言語を話す人たちの価値観や土地の雰囲気が反映されるのだろう。

以心伝心なんて言葉もあるけれど、それは限られた関係性でしか通用しないし、基本的に人間は、言語を介さないとコミュニケーションができない。『語学の天才まで1億光年』は、様々な国を旅した高野秀行さんによる語学にまつわるエッセイとしても読めるし、また語学の学習法の本としても、あるいはコミュニケーションの本としても、読むとけっこう新鮮な発見があると思う。

新型コロナも落ち着いてきたことだし、私も今年はネット弁慶を少しだけ卒業して、リアルのコミュニケーションを頑張ってみようかな……。

Text/チェコ好き(和田真里奈)