友達関係の限界
先日、男友達とのサシ飲みで唐突に身の回りの恋愛に関する話になったとき、「あ、私ってこの人を幸せにしてあげられないんだな~」ということを考えていた。
彼は結婚したいらしい。結婚して、好きな人と一緒に暮らして、家庭を持って、そういう世間一般が考えるような「普通」の暮らしがしたいんだって。
へえ、そうなんだ。男の人ってさ、35歳くらいまで遊び惚けて、若くてかわいい女と結婚したいとかそういうこと思ってるんじゃないんだ、とか偏見丸出しにしながら、意外とみんな将来とか老後とか人生設計とかやりたいこととか自分のあるべき姿とか考えているんだな、と思う。それと同時に、改めて私は自分自身の将来にほとんど興味がないことに気づいて、情けなさを覚える。
お互いに恋愛感情なんてまったくないから、お互い健康で仲良くできていたらいいですよね、なんとなく繋がりを持てていたらいいですよね、程度でその曖昧さや無責任さが好きでそこに収まっていたいけれど、関係の限界や行き止まりみたいなものが存在するらしい。私はただの友達で、話を聞いてあげることくらいしかできない。机に並べられたエイヒレとゆでそら豆と卵焼き明太チーズをハイボールでかっこみながら、へえーとかそうなんだーとかいう返事をして、特に参考にならない私自身のそれらしい恋愛感情にまつわる話をする。ただ、それだけ。
コロナの影響もあって久しぶりに会う友達だから、ひと席設けることによって近況も知ることができたし、お互いのことをさらによく知れたように思う。もう付き合いも長いから気を遣うような間柄ではない。ある意味ではストレスの発散というか、日々思っていることを吐き出せた。でも、ひとりの友達として私がしてあげられることって本当にそれぐらいなんですよ。話を聞いたり慰めたり、一緒に酒を飲んで相談に乗ったり、助言をしたりして。
そういう付き合いが大切なのはわかる。何年も関係が変化することなく、いつ会ってもしょうもない話で盛り上がれる友達ってこれくらいの年齢になると減っていく。生活のなかで抱えるべきものがもっと増えていくから。だから、友達としてもっとも正しい姿ではあるし、誠実ではあるけれど、友達っていう関係は将来性がないというか生産性がないっていうか。まあ、生産性とか損得勘定で友達でいられるのも嫌なんだけど、未来に対する見え方が不明瞭である気がしてしまった。
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