愛してあげられなくても、私は私でいなければいけない

では、自分を少しでも好きになれたのかというと、大して変わらなかったなとも思う。人から評価され、傷つけられる言葉を向けられなくなった分、自分の欠点と向き合ったり人と比較してしまう時間が極端に減っただけで、自分のことはやっぱり好きになれないままである。好きなものを身に着けても、自分好みの服装をしても中身は変わらない。自分の好きに囲まれると満たされた気持ちにはなるが、中身は伴わない。生きやすくなったはずなのに自分への価値観だけはずっと変わらず、平行を辿っている。

私はたぶんこれ以上自分のことは嫌いにならない気がするし、人と比べることもない。嫉妬心みたいなものもほとんどなくなってしまった。それは色々な生き方が認められる時代になって、価値観も人それぞれになったから。人と違う自分をそれでもいいと許せるようになったから。でも、自分に対する感覚は何も変わらなくて、好きにはなれないままだ。だから、「自分を好きになろう」とか「他人ウケより自分ウケ」とか「自分の機嫌は自分で取る」とか、自分をそのまま認めてあげるような価値観が、たまにしんどく感じる。

自分を好きになるのって結構難しいことなんじゃないですか? 感情ってそんなに簡単にコントロールできるものなんですか? 人からの評価を一切受けずに自分ひとりだけで自分自身に点数をつけることってできるもんなんですか? 私にとっては永遠のテーマのように感じる。なるべくコンプレックスを潰し、肯定できる部分を少しずつコツコツと積み上げていくのだ。

自分を好きになれなくても、今以上に嫌いにならないだけで、無意識のうちに嫌悪感を抱かないだけで、私には十分なのかもしれない。愛してあげられなくても、私は私でいなければいけない。だからこそ、無理に好きになる必要もないのだと思う。自分のことをあまり好きにはなれない自分も受け入れたい。自分にウケなくても、自分自身を認められなくても、他人に認められなかったとしても。

Text/あたそ

あたそさんの新刊書籍が発売中!
新刊『孤独も板につきまして』は、大和出版より発売中です。