「みんな持ってるから」という踏み絵
横浜が嫌いだ。
もう何度も言っているが、私は地元である横浜があまり好きではない。「横浜」と聞くと大抵の人はおしゃれで感じの街並みを想像するが、それは必ずみなとみらいが横浜随一のお洒落スポットであって、ほんのわずかな観光客用の土地のことをさす。
出身地を尋ねられ、「あ~おしゃれだね~」と言われるのにも、もう飽きた。実際のところ、私にとっては嫌な思い出しかない場所だったりする。横浜に住む人は、横浜から出ない。すべてが揃うからだ。横浜で生まれ、横浜で育ち、横浜で結婚をして子どもを育てて家を買う。そして、たぶん老後まで過ごす。湘南新宿ラインや東急東横線に乗れば渋谷なんてあっという間に着く。だからこそ、都会へのあこがれも特にない。むしろ横浜という地の誇りを持っている。便利な地域ではあるのだと思う。
上京してきた地方出身者の話を聞くと、田舎特有のデメリットをあげつらうが、私の地元もそうは変わらない。結局、どこの田舎・住宅地も住んでしまえば同じなのかもしれない。なんとなくの閉塞感が漂っている。私は何もない住宅地で育った。最寄りのコンビニまで歩いて10分もかかるような、深夜には暴走族にバイクの音しか聞こえないようなところで生きていた。やることといえば恋愛と万引きくらいしかなくて、荒れていた。そういう土地で育った。もちろん、私の知っている横浜は一部ではあると理解しているが、そういう訳で私は地元が嫌いだ。二度と足を踏み入れたくはないとすら思っている。
最近Twitterで、「GUCCIの財布を『みんな持ってるから』という理由で高校生の娘にねだられたが、話し合いの末に断った」という旨のツイートを見て、これは私の話だと思った。もちろん、発言者の住んでいる場所は知らない。それに、世代や地域、ほかの人がどのように過ごしていたのかも知らない。けれど、中学時代の私の周りは「ブランド物を持っていないとダサい」という価値観があったし、それが原因で無視やいじめに発展することがあった。というか、理由はなんでもよかったのかもしれない。いじめのターゲットとなる子がたまたまファッションに疎かったから、ブランド物を持っていない・ブランドを知らないことがいじめる理由として最適だったというだけで。
だから、本物か偽物かなんて私にはあまり関係がなかった。本物であるほうがいいに決まってはいるのだが、あれは踏み絵みたいなもので、ちょっとした持ち物で「私はブランド物を持っています」「お洒落やファッションに関心がありますよ」と表明しなければ、人権が与えられなかった。
一緒のグループに存在する人と同じ持ち物を持っていなければ意味がない。お揃いのキーホルダーを付け、同じSEVENTEENを読み、同じファッションを好きでないと、「友達」のリストから除外される。一緒にいる意味のない人と見なされてしまう。私には、それがとてつもなく怖いことに思えた。だからあの頃の私はブランド物が欲しかった。GUCCIにどんな歴史があるのか、なぜこんなにも高いのか、そんなことは知らない。グループからはみ出ないだけの「普通」を手にして、誰かの言う「みんな」に私も入っていたかった。
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