女子校出身者が女子校のよさについて書いた文章は読んだことがあるのですが、共学出身者が、共学のよさについて注目して書いた文章は、あまり読んだ記憶がありません。もちろん「同級生と付き合っていて、自転車で二人乗りして登下校した話」とか「修学旅行の夜、男子たちが部屋に忍び込んできた話」、中には「体育準備室でこっそりヤっちゃった話」といった、共学ならではのスクールライフのエピソードを書いたエッセイなんかは多くあると思うのだけれど、女子校出身者がそれを誇るように、共学であることを誇るパターンは少ない気がするのです。
女性だけを集めた女子校(もしくは男性だけを集めた男子校)には、共学よりも特異性があるし、女子だけで学校運営やイベントをこなす女子校は「女性をエンパワメントする」みたいな昨今の流行とも相性もいいように思うのだけど、「女子校、最高!」という文章を読むたびに、共学出身のわたしは「共学も共学でよかったけどなぁ」なんて思ってしまう。
しかし、在学中、共学のよさなんてものを考えたことは、まったくありませんでした。それは幼稚園、小学校、中学校、そして高校と、ずっと共学で来たゆえに、学校生活に男子がいることが、当然だったから。では、いつのタイミングで「共学に通ってよかった」と思ったのか。それは卒業してしばらく経ってから。社会人になった、かつての男友達たちに再会してからのことです。
女友達と男友達の違い
子どもだった当時のことを知っている仲間というのは、男女問わず親しみ深い存在です。が、女友達の場合は距離感が近くなりすぎてしまうというか、付き合うにあたって、“交換のし合い”のようなところがある。「話を聞いてもらったら、話を聞く」「お願いを聞いてもらったら、お願いを聞く」というような平等性が必要で、どっちかがどっちかの面倒をみすぎると、負い目が生まれてしまって友情が保ちにくくなるように思えるのです。
それに対して男友達の場合は、もう少し不均等であっても許される気がしています。例えば、女同士で「今日はオゴる」と言われたら「いやいやいや、なんで!」となるけど、男友達だと「お、悪いね、あざーす!」と言える。離婚するか否かでシリアスに悩んでいる女友達に、上手く回っている己の家庭の話はできないけれど、男友達の場合は、そこまで気を遣わなくても済む。ようするに、これはわたしの性格の問題ですが、女友達よりも男友達へのほうが甘えやすいのです。
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