母も一人のただの人間で、そして女だったことにようやく気づいた私

母も一人のただの人間で、そして女だったことにようやく気づいた私。理想の大人になるためにはどうすればいいのか。

実家に帰省するたびに母は決まったセリフを言ってくる。
「うちの冷蔵庫は空っぽだよ、何にもないから。外食も全くしてないし」
聞いてもいないし気にしてもいないのにこの言葉で私を黙らせてくる。このセリフを聞くたびに苦痛を覚えるし、わたしには遠回しに「お前は東京で私よりいい暮らしをしているんだろ」と言われているような気がどうしてもするのだ。母にはそんなつもりがなくても。

oyumiコラム画像2

母のこの質素アピールを聞くと、子どもの頃、おんなじようなことを言われていたのを思い出す。
兄や私が勉強をきちんとやらなかったり言うことを聞かなかったりして不真面目なサマを見せるたびに、
「みんな母親のせいだって言われる!」
とヒステリック気味に嘆いていた。
子が何かやらかせば、みんな私のせい……この発言は母親が自分のことを責めているように見えて実は私たちのことを遠回しに責めている、責任を押し付けたいだけなのだ。「お前たちのせいだ」そういうふうに言われている気がして、当時はそうはっきりと理解できていなくても、居心地の悪さを感じていた。
多分兄も同じだったんじゃないのかと思う。そう、私たちはどちらかというと反抗的な子どもだった。

当時の母の気持ちを考えてみると

大人になった今だからこそ言えることだけど、子どもを育てる親だって一人の人間なのだ。今の出生率が低い時代を生きる若者にとって、この世に生を授かることは「親ガチャ」と表現されるけど、一昔前の人たちからしたら「子ガチャ」だったのかもしれない。
80年代から90年代にかけて3人の子どもをうちの親は産んだ。私が過ごした子ども時代では一人っ子はまだまだ少数派で羨ましがられるものだった。

子を生む親、しかも2人以上産む親がたくさんいて当たり前ならば、「どんな子が生まれてくるか」と期待を抱く大人たちもそれだけたくさんいたはずだ。今に比べたら子どもを産むことがポジティブな時代だったに違いない。
母はその期待がだんだんと不安に変わっていったのだと思う。
子育てが終わったかと思えば思うように優秀な子には育たないのだから、それに対する苛立ちや焦りはそうとうなものだったのではないか……。

そういえば、まだ小学一年生の私に母はパソコンで英語の学習教材をやらせたり英会話をやらせたりしていた。兄にはチェロやバイオリンの習い事をさせていたっけ。
私はそんなものよりも昆虫や鳥、化石なんかが大好きだった。だから母はすぐさま博物館や大学の研究室に私を連れて行った。きっと「うちの娘はもしかしたら将来生物系の研究職とか学者になるのかも」と密かに期待を抱いていたんだろう。残念ながら私はそんな道には進まなかったけど……。

母は自分が進めなかった道や諦めたこと(例えば大学進学)を全て自分の子どもで実現させようとしていた。自分の人生はやり直せなくても子どもがそれを叶えてくれる、それが当時の大人が子に抱いていた期待や夢だったのかなと今は感じる。
少なくとも私の家庭ではそうだった。そして残念ながら母は最低限な子育てはできても、肝心な教育が下手くそだった。

だから私も兄も言うことを聞かなかったのだ。両親は、自分たち大人の都合ばかり押し付けてきた。私たちが大学の学費を心配すれば「バイトと両立して自分の力で通ってる人もいる」と言うし、進学について相談すれば「何か一つ他の人よりずば抜けてできれば学費が免除される」の一点張りで(そんなのひとつまみの人だけでしょ)、一番こちらが期待していた「学費のことならこっちで何とかするから心配しないで」とか「勉強しなさい」は全く言ってもらえなかった。

oyumiコラム画像2