今私が歳をとったおかげで大人の都合というものに気付けてある程度理解もできるようにはなったが、歳を食った大人は若返ることはない。
親は子どもの都合について思い出したり考えたりするだろうか? きっとそんなことはないだろう。でなければ子どもは親や教師と対立しない。それに母は「あのとき大学に行ってれば██(次男)も今頃……」なんてことをいまだに嘆く始末だ。
もしかしたら人は子どもを産んだ瞬間に子どもの頃の自分が消えてしまうのかもしれない。
私の母は子どもに自分の願望を押し付けるくせして、自分より人生がうまくいっているように見えるとすかさず嫉妬をしてくる。私は母に買った服をいちいちチェックされる。私が一人で東京で暮らすことについて遠回しに僻む。

子どもは大人になれるけど大人を過ぎたらもう二度と子どもにはなれない。子どもの頃の気持ちも次第に忘れてしまう。違う生き物になるのだ。
母はきっともう忘れたに違いない。だけどそれは忘れたほうが都合がいいからそういうふうに脳ができているだけなのだと思う。仕方ないことなのだ。

母が一人の人間であることを知ったとき

母も一人の人間で女なのだと強く意識したことが一度だけある。
実家の隣の空き家に母子家庭が1組引越してきて、母はおそらく親に買ってもらったんだろうと言うのだ。(私の地域では意外と富裕層が多いためそういった家庭が多い)
そのとき、さらにこう言ったのをよく覚えている。
「私は自分一人の力で買ったのに」
多分これは妬みでも僻みでもなく、母の60年分の人生の、ささやかな不幸に対する嘆きだったのだと思う。女一人で強く生きるしかなかった母の重みがあのとき一瞬だけ感じられた。正直、私も同じ道を歩むのかなとゾッとした。

私は近頃、子どもの頃の母のことをこんなふうによく思い出す。どんな人だったか、自分に何をしてくれていたか。
そして今、母はどんな人になったか。
思い出すといろんなことがわかりだす。それは実家を離れたためだろう。実家を離れてから私は母との関係が良好になった。母も同じ一人の完璧ではない人間だと知ったからだ。

親とうまくいっていない方や仲は良いが複雑な感情を抱いている方は、昔のことを思い出してはいかがだろうか。
すっかり忘れていたこと、わからなかったことが急にわかりだしたり、気付けたり、見つかったりする。それは別に人生を良くしてくれるわけでもなんでもないが、少し生きるのが気楽にはなる。
「親もあんなもんだ、なら人間なんて元々こんなもんだ」と思えると安心する。
近頃同年代の人では嫌な中年や老害にならないよう気をつけ出しているが、自分の親を見るのが一番いいと思う。そして子どもの頃の自分と向き合ってみよう。
理想の大人への近道はそれなんじゃないのかと私は近頃感じている。私は理想の大人になりたい。みんなだってそうだろう。

Text/oyumi