「友達」が「昔の知り合い」に変わる瞬間
前回もちらっと書いたのだが、コロナになってから私の周りで大きく変わったことのひとつに人間関係が挙げられる。端的に言うと、感覚的に友達が少なくなった。人間関係も希薄になった気がする。たとえば、相手がワクチンを打っているか? いないのか? どんな衛生観念を持っているのか? 家族と同居はしているのか? 仕事を含めてどれくらいの頻度で人と会っているのか? あとは今誘って幻滅されたらどうしようとか……その他色々を考え始めると、「近々誘って、久しぶりに一緒に飲みたいな!」という気持ちもしぼんでいく。
インターネット上で生存確認自体はできているのだが、本当にそれだけで完結しつつある友達・知り合いが増えた。寂しい気もするけど、それが原因で万が一コロナにかかったら身も蓋もないわけで。仕方のないことのひとつなのかなとも思う。
私は友情を長続きさせるのが苦手だった。多少はマシにはなっているのだろうが、地元の友達はひとりもいないし、大学時代に知り合った友達もほんの一握り。交友関係のほとんどがネットや趣味を通じて知り合った人ばかりである。
自分が興味を持った人とどんな風に仲良くすればいいのか、わからないのかもね。そもそも、他者に対してどんな風に興味を持てばいいのかも人生を通じて学んでこなかったのかもしれない。うーん、傷つくことも否定されることも怖いだけなのかもとも思う。もともとひとりでいることに抵抗がないのも要因のひとつなのだろうが、寂しくならない私は人に寂しいと言えなくて、だから誰とも深い関係が築けない。
ここ2年くらい、Facebookのお互いの投稿にいいね!をしたり、コメントでおすすめの本や音楽をおすすめしあうだけの人がいる。彼とは大学時代に知り合い、当時も特に仲がいいわけでもなく、お互いに今どこに住んでいてどんな仕事をしているのかも知らない。最後に会ったのもいつだったか覚ええてないし、どっかの雪国で家業を継いだとかそんな記憶がうっすらある程度である。
気軽に会える距離ではないのもあるが、どっちも「近々会いたいね!」とか言わない。自撮りをするキャラでもないから今どんな容姿をしているのかもわからない。世間話もしない。とにかく気になる投稿についてコメントをしたり感想を言い合ったりしているだけの関係である。
少し前の私であれば、彼は「友達」でもなんでもなくて、「昔に知り合った人」としてカテゴライズされる。もしかしたら、こういう中途半端な関係が許せなかったかもしれない。でも、別にいいんだな、と今では思う。ちょっと奇妙だけど。だって、今はインターネットにつなげればどこにいてもコミュニケーションは取れるし、人との関係性を長続きさせる秘訣や要因は、直接会って話すだけに限らない。
大人になればなるほど、大切なものは増えていく。仕事や家族、毎日の生活、趣味とか友達よりも優先しなければならないものは誰にだってあるはずで、連絡を取らなくなったりなかなか会うタイミングがなくなってしまうことなんて山ほどあるのだから。
- 1
- 2