書くべきかどうか悩んだけれど、フジロックにスタッフとして参加してきた

Photo by あたそ

書くべきかどうか悩んだが、先週フジロックにスタッフとして参加してきたので、そのことを書きます。

正直、書く必要なんてないと思うんですよね。自分でも100%正しい行いをしたとは思っていないし、批判の対象にはなるでしょう。何も言わないでこのままやり過ごしたほうがいいんだろうなあというのはわかっているんだけど、参加してしまった以上、実際はどうだったか? 私が何を感じたのか? をきちんと書くべきじゃないかと思って。

さらにいえば、参加者やミュージシャンが考えを表明したり、今まで参加したことがない人が外から書く文章を見ることはあったけど、スタッフが意見を述べている記事はなかったよな、そういえば……と思い、こうしてキーボードをカタカタ叩いております。参加後の感覚を文章として残しておくのも私の仕事のうちなのかな、と(インスタでも同じく長々と書いているので、よかったら読んでください)。

私はライターとして参加して7年目になる。主な仕事はライブレポを書くこと。Twitterを検索すれば現場の状況がわかるし、今年は配信ライブも行われたなかでわざわざライブレポートを見る人がいるだなんて思ってもいないが、例年と異なるフジロックを自分で見聞きして、文章にしておくことが私にできることなんじゃないか、と思って決断した。

直前まで参加を悩んだし、終了した今だって本当に開催すべきだったのか? と考えることがある。参加者が何かしらの罪悪感を抱きながらフェスに参加し、音楽を聴いているだなんておかしいでしょう。でも、それって会社に向かうために満員電車に乗っているときも、土日の混みあっている時間帯に映画館で映画を見ているときも、好きな店でひとりランチを楽しんでいるときも同じような罪悪感や不安は大なり小なりずっとあった。人が密集するなか、ウレタンマスクの人や会話を楽しむ人がいる空間にいて、誰も感染しないだなんてあり得ないから。

「オリンピックを批判したのにフジロックに行くんですね」という批判を受けたが、そもそも、条件が異なるこの2つのイベントを簡単に比べることなんてできないと思う。感染者数が増えているのに大きなイベントをするな! と言われれば、そりゃそうなんですけど、その視点で言えばほぼすべての文化が批判の対象になる。それは私にはできない。どちらかと言えば政権批判の気持ちが自分のなかには強くあり、税金の使い道が不明瞭である点が許せなかったし、海外から持ち込んでしまう/持ち出してしまう可能性も怖い。なによりこの緊急事態宣言下でオリンピックを開催した様子を見てしまって、「あ、本当に自分で自分を守るしかないんだな」と思った。そんななかで私はどうするべきか? をずっと考えた。

私はコロナに感染することなく生活できているが、完璧に対策ができていたとは思っていない。「絶対にかからない」なんてあり得ない。でも幸いにして、私はワクチンを2度接種済みで、抗体もある。在宅勤務で満員電車に乗る必要もなく、一人暮らしで家庭内感染もない。外にもあまり出ないし人とも会わない。家庭があったり、同居している人、出社の必要や他者と会うことで仕事が成り立つ人よりも、スタッフとして参加する条件が揃っているのでは? と思ったんですよね(この条件が揃っているのも会社から受けた恩恵が大きく、ほとんど運みたいなものではある)。それに、現場を作るスタッフは必ず一定数必要で、たとえそれが誰も見向きのしない文章を書く仕事だとしても、私が行くべきではないか? と結論を出しました。