こんなに寂しいものなんだな

Photo by あたそ

会場は、1~2日目はアーティスト(特にRADWIMPSとKing Gnu)が好きな人、3日目はフジロックそのものに思い入れのある人が多く参加している印象で、場内も散り散りな状態。いつもは行列のできているラムチョップのお店『ながおか屋』はフィールドオブヘブンからさらに奥地のオレンジカフェへと引越し、スタッフも「いつもガラガラなんですよね」と言っていたほど。ここのラムチョップ、毎年必ず食べているな……美味しいんですよね。そういえば、飲食店の並ぶオアシスエリアでは、人気店である苗場食堂以外での行列はほぼ見かけなかったし、食材とか作ってしまった料理は余ってしまうほどだったそうだ。

これは個人的な視点なので実態はわからないが、アルコール類の提供、持ち込みが禁止されていて、場内でこっそり飲酒している人も見かけなかった。知らないところ飲んでた人はいるのかもしれないけど……。そのため、暴れている人も酔っぱらっている人もいない。全員しらふの効果なのか判断できかねるが、例年問題視され、今年から遂に名指しで「禁止」とされたヘリノックス(アウトドア用品)をそのまま肩に乗せて運んでいる人も、タバコを吸ってる人も、場内に落ちているゴミ、テーブルの上にそのまま放置された紙カップや紙皿を見かけることはなかった。私にはみんなそれぞれがきちんと意識や責任を持って判断しているように見えた。なんというか、会場には緊張感みたいなものが常にあったし、心から楽しむことができないフェスってこんなにも寂しいものなんだなと思った。

人がいない、ということで移動時間も短縮された。行列や人込みで移動が遅くなることもなく、どこへ行くにも見込んだ時間よりも早く着く。思うように移動できないのってストレスを感じるけれど、今回のフジロックでそれはなかった。強いていえば、各ステージのトリ終了後のレギュレーションが甘く、密になりがちだったことが少し不安ではあった。それでも、人そのものがいないからスムーズに動けたし、前方でステージを見ていた人はある程度移動できるようになるまで待っているようだった。

声を出したいシーンはいくらでもあった。けど、みんなぐっとこらえて拍手や腕を上げることで反応を返す。まあ個人の話をすると、隣のおじさんが鼻出しウレタンマスクをしていて興奮気味に前前前世を小声で歌っていて、「あーこれはちょっと」と思ったりもしたし、安全な場所に退避できなかったからもどかしかった。とはいえ、決められた立ち位置から基本的に動く人もいなかった。少し後ろのほうは位置も多少あいまいにはなっていたけれど、お互いの距離感については誰しもが気にしているようではあった。写真や映像だと密に見えたかもしれないが、間隔的には映画館、劇場とほぼ変わらない。その辺りはきちんと守られていたように思う。

「自分のことは自分で」と場内では不織布マスクを販売しないのかと批判されていたけど、あくまで「自己責任で」と言いたいだけで、2枚100円とかかな?それくらいの値段で売られていたし、トイレコーナーには必ずいい匂いの石鹸と消毒液があって、手を洗うのがちょっと楽しみだった。見回りのスタッフがどこにでもいて、マスクをきちんと着用していない人や距離が近い人にはかなり丁寧に注意していた。雨上がりの芝生の上、ビニール袋を敷いて座っている明らかに友達同士の女の子2人も注意されていて「厳しくチェックしているんだな」とも思った。

「ワクチン接種済みの人のみ参加させるべきでは?」「無観客でやるべきでは?」などさまざまな批判が出たけど、様々な状況を鑑みてあらゆる手段を講じていた。毎年宿泊する民宿のおばちゃんたちもいつもと変わらぬ様子で出迎えてくれたし、地元からもフジロックが開催できるように調整していたからこそ、全員ワクチン接種が終わっているとのことだった。周辺の商店ではアルコールの販売がほぼないか決められた時間内でしか購入はできず、この辺りもフジロックを成功させるべく徹底していたように感じたし、いい意味でいつもの苗場と様子は変わらなかった。あと、MISIAさんが君が代を歌ったこともゴッチさんが政権批判を歌ったこともフジロックはそういうフェスだし、エセタイマーズがどういったバンドなのか一回調べてみてね、という感じである。たぶん、この辺りに文句を言っている人は批判したいだけなんだろうな。

開催しなければフジロックは来年以降開催できなくなってしまうかもしれない。アーティスト、スタッフ、地元の人、今まで長い時間をかけて築き上げてきたあらゆるものを守るために「開催」という選択をしたのではないか。もし、フジロックを主催するスマッシュが倒産なり事業譲渡なりをしたとして、一度なくなってしまったものを元通りにできる力が誰かにあるのだろうか。ベストなのは、開催を中止して、それでも関わる人が今までと同じ生活ができ、お金に不安を抱えることなく生きていけるほどの補償が受けられる体制があることなんだろうけど、現実はそうではないみたいだし。「今年のフジロックで大儲け!や~しばらく安泰っすわ!」なんて人、誰もいないのだろう。色々な制約があるなかで、音楽業界だけじゃなくて現状を何かしら変えるために強行したようにも見てとれた。まあ、これは私の想像でしかないのだが、そういう空気感みたいなものが確かにあった。

潜伏期間があるため、「まさか、この状態で感染者ゼロはあり得ないだろう」と思っていたのだが、今のところ私も健康そのもので、抗原検査も陰性。一緒に働いたスタッフ、遊びにきていた友達、ステージで演奏していた友達、身内に感染者はいない。もちろん、2週間経過するまで安心できないけれど、正直驚いてはいる。

そんな感じで終わっていった私のフジロック。ライターとしては意義と使命感で遂行できたが、自分の気持ちとしてはわからない。コロナにかからなかったとしてもそれは結果でしかないわけだし。ただ、私はフジロックが好きだし、私の人生を変えてくれた出来事のひとつである。フジロックがきっかけで、好きな音楽が増えた。夢中になれること、仲良くなった友達も増えた。それは他人にどういわれようが、私の人生にとって必要不可欠なものである。フジロックの代わりになるものなんてこの世にはない。「人の命とどちらが大切なんですか?」と言われればもちろん命のほうが大切だ。けれど、そういうリスクはいかなる活動にも伴う。経済的な死は、見過ごしてもいいのだろうか。誰かが経済的に苦しんでいるとき、何ができるんだろうか。人の命は大切だ。けど、確実に死に近づいている人の命は見逃してもいいのだろうか。私にはわからない。

微々たる力かもしれないが、今後もあのフェスと少しでも関わりを持ち、守れたらいいなと思っている。最初は「え、本当にやるのかよ……」と不信感を抱いた。けど、どうしても嫌いにはなれない。なんだかんだ、毎年フジロックはずっと大変なんだけど、終わった後は「楽しかった」と心から思えるのは不思議だ。来年もその先も、ずっとあればいいな。

Text/あたそ

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