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他者と共に生きるためにときには自分を変える。でも、相手に変わってもらう必要があればきちんと声を上げて、変わってほしいと言わなきゃだめなのだ。そして散々働きかけても変わらないのであれば、そこではじめてきちんと相手を見限る。それが自分で自分を幸せにするということだと思うし、友人とも恋人とも夫とも、そしてやっぱり世の中とも、この人と生きていく、という人とはそんな風に、必要とあらば殴り合って対峙することをも辞さない覚悟で向き合っていかなきゃだめだと思うのだ。

何しろ皮膚一枚だけしか隔たりのない「私」と「世の中」だから、「私」は自分で思っている以上に「世の中」から絶大な影響を受けている。私の恋愛も、私の結婚も、私の離婚も、私のセックスも、すべて悔しいかな、いつ何時も世の中の上にある。そして「世の中」は、よくよく考えてみると私たちに、結構な無茶を要請してくる。

今まで私たちは、それに薄々気がついていながらも、多くの局面で怠惰にかまけて気づかないふりをしてやってきた。多少窮屈な思いを強いられても、世の中を変えるなんて大作業に真剣に取り組むことに比べたらまだましに思えたから。だけどいよいよこのところ、そうとばかりも言っていられなくなってきている。なぜなら政治が最早、私たちを騙そうとか、ご機嫌を取ろうとか思ってすらいない気配を漂わせ始めているからだ。よその女とセックスした後に使ったよそのボディーソープの匂いを最早隠そうともしないふてぶてしい彼氏のように、こいつにはバレたってどうってことないだろうといわんばかりの態度を示しはじめている。

私達がこの世の中で生きていく限り、こんな舐めた態度をとっていてもらっては困る。私達の健やかな恋とセックスを守り、働いて生きる人生を守るためにも、きちんと誠意を取り戻してもらわなきゃ困るのだ。

そういえばかつてSOLOで持たせてもらっていた連載のタイトルは「世界は一人の女を受け止められる」だった。編集長の金井さんがつけてくれたものだが、今この時代を予言しているかのような一言に相変わらず凄まじい才気を感じる。

一人の女だろうと一人の男だろうと、子持ちの女だろうと二人の男だろうと、なんだっていい。自分を幸せにしようとする全員をきちんと受け止められる、そんな世界をいい加減作らねばならない。私達は今、そんなタイミングを迎えていると思う。

Text/紫原明子