日本はなぜ「清純な女がいい」と思い込んでるの?理由を聞いてみた(前編)

 わたしたちはいつの間にか、「尽くす女がいい」「清純じゃないとモテない」といった“恋愛の思い込み”に縛られています。
本特集「恋愛の思い込みを燃やせ」では、こういった“クソルール”がどのように生まれ、根強く浸透していったのか紐解きながら、恋愛に対する女性の選択がもっと広がるために何が必要かを、「若者たちにとって「恋愛」とは何か」などの論文を寄稿している、大森美佐さんに伺ってきました。

今の恋愛ルールはいつできた?
西欧の「ラブ」と家制度

日本の恋愛規範についてインタビューに答える大森美佐さん 大森美佐さん

――私たち女性は、清純な女や尽くす女がモテるとか、付き合う前に体の関係を持ってはいけないといった、受け身・献身・清廉・美にまつわる、暗黙の恋愛ルールがあると感じています。色々と調べていくと、19世紀初頭のアメリカでも「真の女らしい神話」があったことを知りました。
なぜこれらのルールが生まれ、定着していったのでしょうか?

大森美佐さん(以下、敬称略)

日本とアメリカは社会や文化といった背景が違うので、全く同じものと捉えることはできませんが、共通する点もあります。前近代社会の家族は、家の中で生産し消費する、つまり男女関わらずみんなで食物をつくり、村の人たちと一緒に共同生活を送る形態でした。
ところが19世紀の「産業革命」後、男性は外に働きに行くようになり、プライベートとパブリックの分離が起きます。それによって、男性は外で働き、女性は家で子育てと家事をする「性別役割分業」が生まれます。役割が変われば、男女で求められる像も変わるので、そこで「真の女らしい神話」が生まれたということでしょう。また、西欧諸国の規範の根底には、キリスト教の教えがあるので、「純潔規範」も重要な要素になっています。

――性別役割分業は、合理的な生活への第一歩でもあったわけですね。それが、日本とどのようにリンクするのでしょうか。

大森

その前提で日本の話をすると、明治初頭は今よりもっとフランクな状態にあったといえます。婚前交渉の禁止というより、村の若者衆たちが女性の家に夜行って、いい人を見つけ、それを応援するといった交際行動が普通に行われていました。
ところが、明治期は西欧からの文化がどんどん輸入されている時期なので、「恋愛」の概念もこの時期に輸入されたと言われています。それが「ラブ」です。そういった文化が一部の知識人たちの間で広まりつつ、その一方で、農村地域の中ではまだ性的な自由さも残っていました。

――元々のルールがゆるい状態に、西欧文化による「ラブ」が輸入されたと。面白いですね。

大森

もう一つ重要なのが、家制度という1898年(明治31年)に法制化された家族制度です。
家制度のもとでは、女性は男性の家に嫁ぎ、家の主、つまり戸主に属することになります。それまでは結婚も離婚も自由でしたが、この「家制度」によって戸籍が統制されると、親が相手を選び、「一度戸籍に入ったら戻ってくるんじゃないよ」というような結婚になります。離婚もしにくくなり、恋愛の規範が強くなっていきます。
また、西欧の「純潔規範」によってセックスも規制されるようになり、恋愛するなら結婚しなきゃいけないし、その先に生殖がある…「愛」「性」「結婚」を三位一体とする「ロマンティック・ラブイデオロギー」という概念が広まります。それが戦後1960年代、お見合いと恋愛結婚がクロスするときですね。

―― わりと最近の話なんですね!

大森

そうなんです。だから、伝統的に昔の方が性規範の拘束力が強いとかではなく、フランクだったものが、一旦厳しくなっていく感じです。その時代の民俗史を読むと、今とまったく違う交際文化が垣間見られて興味深いですよ。